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小谷周平 「出所後のオナニックな日々」

自分の人生を赤裸々に綴ります。

ボストンへの手紙

16年前にボストンでお世話になったドラマーのデイヴィッドに、ちょっと前にFBで再会した。なので、FBには上げられないが送った英作メールをこれみよがしにここで紹介してみる。悪くはない出来だと思う。

以下、本文。

 

Dear David

 

This is Shuhei.(I changed the spell Shuhei →Schuhei because of influence of German)

It's been ages. I don't know if you still remember me.

So let me explain when and how we met, first.

We met in Boston right after the attack happened because your best friend Percy Jones talked me about you when I was in Japan preparing for going to Boston. At the time we met, you were a instructor of Berklee and I was 19. Now I can imagine I was so little boy that I was troublesome to you. I'm really sorry for that. But I really appreciate that you were so kind to me. One thing I still remember impressively was that at the mourning concert you introduced me to attending everyone in the church.(I couldn't understand what you said all.Understood partly) But felt I was being blessed by you guys there.) Another story was happened while your friends drove us(forgot where...... maybe home). He crashed suddenly to the car running in front. I couldn't also understand how the deal with the victim(not really).It was light accident. But again this is also some kind of special memory. Laugh.

Now. Can you remember me? If not, I put a portrait picture to help with that.

 

After going home from Boston, I got into National University in Japan. My major wasn't music. While Staying there I had been Germany to study music for a year as a exchange student.After Graduating, I started working as a care worker for elderly and disabled.

Since in University I began to play Jazz changing my main instrument from the bass to the guitar. I still play in a gig only sometimes a year. I have also experienced life in prison for a year because I did bad thing because of heavy depression. I'll explain or excuse that for some other time.

 

Well, thanx for your reading these sudden long sentences.

I also want to know how your life there is these days. I'm looking forward to your replying.

 

Sincerely and many thanks

Schuhei

 

デイヴィッドからはすぐに返事が来た。あっさりした再開だった。しかし、小谷には次の目標があって、いつかステージで共演したいのである。そんな日のために今日もギターを練習しようと思います。

 

性病の検査へ

諸般の事情から昨日、性病の検査へ行って来ました。

普通手順としては、陰性の結果を発表するもんだと思いますが、まあ敢えて。

f:id:schuhei:20170228152816j:plain

 

クリニック内には、小谷よりも明らかに年下と思われる可愛らしい女の子もちらほら。案内の女性スタッフは「パートナーの方も一緒に診察室に入れますので」などと説明していた。ここには二点面白いことが。一つは待合で待機しづらい人への配慮だが、もう一つはスタッフにしてみればパートナーとしか呼べないという点だ。だって、恋人とは限りませんし、同僚だったり兄弟だったり、ないとは言えない。

 

血液検査と尿検査だけで10分くらいでしたかね。結果は明日は発表。可能性としてはゼロに近いが万が一、HIVなどどれか一つでも陽性が出たら人生が変わる。

 

エイズをテーマにした重要な映画としては、インターステラーなどで主演だった摩周マコノヒーが主演男優賞を獲った『ダラスバイヤーズクラブ』が必見で、これは是非オススメしたい。未承認薬を巡る政治的な映画とも言えるが、マコノヒー演じるカウボーイ野郎がとにかく熱い。

 

昨今、日本でも梅毒感染者などが若い人の間で増えているらしい。週刊誌で読んだ。まあ、費用はかかるけれどこういう検査もたまには社会勉強として良いように思う。自分のためである。

ライヴ活動の再開

6月10日に自主企画の誕生日ライヴをやることが決まりました。実際の誕生日は6月5日ですが、早くも楽しみです。

 

先んじて過去のライヴ動画を公開しつつ(逮捕されてからは非公開でした)、とても恥ずかしい気持ちで見直したいと思います。

 

これは小谷のオリジナル。

www.youtube.com

 

 

こっちは君が代のフリージャズ風。

https://www.youtube.com/watch?v=ly_O5MMy6q0

 

あの頃のように弾けるかしらん。いや、あの頃のように弾いても仕方ない。もっと練習して飛翔したいです。おやすみなさい。

執筆中の小説について

 執筆中の小説は、ルビを振るというテクニカルな問題のため頓挫気味ですが、何か適当なソフトを手に入れるつもりなので、最後の仕上げまではとにかく書き続けることにしようと思います。

小鳥の「囀り」

とか

「鬱陶しい」

とかは、何となく読めちゃう漢字でしょうが、やっぱりルビがあった方がいい感じ、漢字ですよね。

 

 小説のモチーフ、ラストの場面も何となくできました。小谷を模した主人公渡辺涼太の物語です。渡辺は自分の犯した過ちのために一年間刑務所に服役、受刑者や施設の問題に巻き込まれながらも、ヒロインゆかりとの文通を心の支えに何とか毎日を生き延び……。

 物語の後半は裁判にしようと思っていて、視点を中3になったばかりのヒロインの娘に移します。主人公が起こした二度目の過ちの真相は証拠品として検察が提出したゆかりの手記により徐々に明らかになる……。

 厳密には三部構成にするつもりですが、第1章の刑務所の場面は僕が経験したことをそのまま素材にしているのでハーフ私小説

 

 さらに特に申し上げたいのは、この現在進行形で執筆している「恋愛小説」は、作家水村美苗先生の『本格小説』につよ〜い影響を受けています。行間や章ごとの題字なども参考にさせてもらっていますが、本格小説という力強いタイトルからもわかるように、「私小説とは」「日本の文学とは」という大きなテーマも暗に盛り込んだ知的な作品で構成も凝っています。3人の視点が変わったりするのですが、アイデアとして視点チェンジは僕も自分の小説に取り込んでいます。

 水村美苗先生の本は『続明暗』を除けば、それ以外の本(『日本語が滅びるとき』や『母の遺産』なども)は全部読んでいるかも知れません。『続明暗』だけまだ読めていないのは単純に漱石の『明暗』がまだ読めていないから。

 

ちなみにですが、心理学的には「誰かが自分に好意を抱いている」という事実は「本人からよりも、知り合いなど関係する第三者から」間接的に自分に伝わった方が印象付けられるんだそうです。「え、あいつ俺(私)のこと好きなの?そんなの聞いてないし。なんで言ってくれないんだろ。ていうか、いつから?」などなど、相手のことが気になり始めたりするそうな。これは、確かに実感としてはその通りだと思う。

 

 だからと言うべきか、二人の愛の物語があったとして、それを敢えて第三者の視点から描くことで深められるものがある、というのはまさしく僕が『本格小説』を読んでいて実感したことなので、自分もそれを採用しようといった具合。さてさてどんな感じに仕上がりますやら。

 

 本格小説では「英語のIと日本語の私という言葉は違う」といった哲学的かつ文学的命題についても少し言及しています。その辺の感じも好きなので、僕も自分文章の中に「物語とは」「恋愛とは」を盛り込んでみたりしています。まあ、大学時代に培ったものを生かすならここしかない、という感じですね。期待してくれている方々がいるのだとすればそれは有難いことですので、どうぞ完成を楽しみにしていて下さい。

ゴーン・ガールとメディアと女と

「女は一体何を考えているか?」

男たちにとって永遠の課題でもあるようなこの問いに、シンプルな答えが用意されていたならば、フロイト先生も精神分析など開拓しなかっただろう。

「もう来ないで」

と告げた次の日には

「お願い、来て」

というような理屈に合わない発言をする、これが女という生き物である。

と書いたらきっと上野千鶴子先生にはお説教をされるに違いない。

(まあそんな人ほど可愛いく思えたりしてしまうのも男だったりしますが。)

 

自分のしでかした犯罪の内容とは裏腹に、思い起こせばたくさんではないにしろ、年に一度くらい女の子がうちに泊まりに来たりしていた。「ストーカーに追われいてる」という精神疾患持ちの子、友達であるのが大前提であるはずなのにマイ歯ブラシを設置していった子、はるばる大阪から来た子、10以上年が下の女の子、みなそれぞれ個性的だったなと今なら思える。もちろん、変なのもいたので触りもしなかった子もいれば、触りたくても触れなかった子もいたし、色々である。ドイツでのルームシェアを入れると、部屋着にはブラをつけないイケイケロシア人とも半年間同じ空間で過ごしてたっけ。

 

さてさて、『ゴーン・ガール』をDVD観賞しました。仲良しがノーランの『インターステラー』と一緒に勧めてくれた作品。後者は、『ダラス・バイヤーズクラブ』で主演男優賞をとったマシュー・マコノヒー主演で、まあまあよかった。で、ゴーン・ガールですが『ファイトクラブ』や『ソーシャルネットワーク』のデビッド・フィンチャーな訳ですから、はずれるはずもなく、そして予想の随分斜め上をいく結末に関心しました。殺害のシーンなんかはもう完全にイっちゃってました。

 

「お、女ってこええ。何考えてるんだ。」というのも一つの強烈なテーマだったと思う。結婚や仮面夫婦というのはあってもなくてもいいようなもんで、究極的には「男女」の歪んだ愛情表現に重点を置いてるわけで、さすが監督。もう一つの重要なテーマはマスメディア(とそれに影響される大衆)。何が言いたいかというと、小谷も自分の報道されたときのキーワードを思い出した訳です(横国卒ストーカー。いかにもニュースで話題になりそうですね)。大衆も決してバカではないが、それでも食いつきそうな餌をやるのが報道だったり、マスメディアの役目。

 

けれど、まあ印象に残るのは僕のみたいな事件でも、渡辺師匠の脅迫事件のようなものでもなくて、「飛鳥、証拠不十分で釈放」とか、残酷な殺人事件とか、政治家の不用意な発言や不正なんじゃないでしょうか。世の中には、刑務所の職員がイジメで受刑者を殺したり、警察が複数で若い男を軟禁したり、銃で女を射殺したり、イジメで同僚を自殺させたりそういった事件もあるのに、週刊誌などに特集がたまにされるくらいで、記憶に残るような報道のされ方はしない。もちろん、様々な利害関係があるからに違いないからだが。

シェイクスピアの作品の評論などを見聞きすると「普遍性(的)」という言葉がちらちら見受けられる。こと『ゴーン・ガール』においても、人間の本質的な部分を抽出するのにかなり成功していると思う。憎っくきマイハズバンドが不幸になる様を間近で確認するという、この上ない復讐の方法。よくこんな物語を思いついたもんです。モデルにした実際の事件もあるそうですが。

 

一つ賛同したいのは、報道される事実というのは虚偽は少ないにしても(大げさに報道するのは常套手段)、そこで扱われているのはあくまでも「表層」だけですよ、ということ。自分たち(大衆)の欲する「物語」があるからこそ、事実の方がそちらに反って曲げられていく。そして挙げ句の果てには、警察さえも真相の究明から手を引く始末。これ以上の物語も結末もないでしょう(『セヴン』を思い出しました)。つまり、現代を生きる我々というのは、そういう表層をお茶の間からご飯のおかずにしている訳です。とんだ茶番だ、と思えるかもしれないが、そう思ってしまう人に限って、自分も分かりやすい同質性を求めてしまってはいないだろうか。誰もがみーんな同じような物語を欲してしまうような均質的な社会ではつまらない、フィンチャーがそういったメッセージをこの作品に込めているとはつゆ思わないが、マスメディアの影響力が肥大化した(ソーシャルネットワークで相対化されていればいいですが)現代を生きる我々に警笛を鳴らしてくれているのかなあ、なんて個人的には感じました。まあとにかく、見所は多けれど、主人公の女はかなり怖い奴なのでそれだけでも十分楽しめると思います。是非ご覧あれ。

 

 

 

 

物語について

その前に、ちょうど二年前をしみじみと思い出す。あの頃、自分のうつ状態はマックスでした。どん底に落ちた人間が這い上がるのもまた一つの物語。

 

今、細田守の『バケモノの子』を観た。断然、『おおかみこどものあめとゆき』の方が好きでした。要約するのは評論としては邪道だが、敢えて物語構造を分析するのなら、おおかみ〜の良さは、おおかみの血が入った子供たちの成長とともに、母親である「はな」自身が成長して行く過程にある。ラストであめが去りゆく姿に胸が締め付けられるのは、はながまた大切な人、その分身を失うことが悲しいから。どうし二度も、と我々は思う。けれど、そんな辛さや悲しみを包み込むように「はな」は「元気で、しっかり生きて!」と笑顔で送り出す。この「優しさ」に小谷は劇場で涙が止まらず、もう一回劇場に足を運んでまた泣いた。この物語は、実ははな自身が彼という大切な存在を失った喪失体験を克服していく、彼女の成長の物語のなのだ。

 

物語(小説や映画、漫画などの)評論などについて、恩師の故・大里さんから、ロラン・バルトエクリチュールを提唱して、「テクスト論」が主流になって(あとがきとかで漱石の生い立ちについて語るような評論は古いとした上で、文章についてのみ言及、分析する考え方)うんぬんかんぬん習いました。蓮實重彦が小説で賞を取ってましたが、映画評論にもこの手法は適用できる。登場人物の感情などにではなく、あくまでもスクリーンに映ったもの、のみについて語る。マンガ評論も然り。

 

ちょっと細かいですが、そして確証はないのですが、おおかみ〜の物語の途中からはなちゃんは髪が短くなって、「くりっ」とした感じになる。これは、亡き旦那やあめの髪型を彷彿とさせなくもない感じではある。細田監督がそこまで狙ったとはとても思えないが、『バケモノの子』を観賞し終えて少し確信しました。「はな」の心の中で「彼」は生き続けている。そして、このテーマはそのまま『バケモノの子』に引き継がれている。しかし、それでもおおかみ〜の方が好きなのは、僕が男の子でこの物語の主人公が「母性」そのものだからなんでしょう。ほんとうに、素敵なアニメ映画です。

 

喪男の哲学史』や『喪男文学史』で論壇を沸かせた?本田透は著書において「物語」の「機能」の一つを

「願望充足の予感」

としていた。

 

これは小谷も納得できる。つまり「いじめっ子が最終的には成敗されてスカっとする」「片思いの好きな相手と結ばれてハッピーになる」など、例をあげれば枚挙にいとまがない。では悲劇はどうか。『この世界の片隅に』を二回劇場で見た小谷に友人は「あんな重い映画よく二回も観たね」と言っていた。けれども、願望充足だけが物語の機能だとすれば、僕らが求めるのは「救い」ではあっても「絶望」などでは決してないだろう。ただし、その「予感」こそが本質なのだとすれば、「救われない」物語の方でこそ「(現実ではともかく少なくとも物語の中でくらいは)救われたい」という想いは強くなるのではないだろうか。その意味で、本田透の分析は的確だ。心温まる物語以上に、悲劇は胸に刻み込まれる。安っぽいハッピーエンドなんかより、「救われたい」という願いこそは万人が共感しやすい感情だ。

 

まあ、そんな物語が自分にも書けたらなあという思いから執筆始めた訳ですが、ギターも引かなきゃいけないし、今年もマイペースな自分に追い込みをかけて生きたいと思います。僕自身の物語はまだまだ始まったばかり。

それでは今夜はこの辺で。おやすみなさい。

 

 

 

この世界の片隅に

アニメ映画が話題です。

 

去年の小谷が選ぶベストシネマは文句なく

『湯を沸かすほどの熱い愛』

ですが、、、

 

アニメ部門は、これまた文句なく

この世界の片隅に

です。

 

友人と忘年会をした時に、テアトル新宿で『14の夜』という思春期の男の子の物語を観たときに、一つ前の上映スケジュールが『この世界の片隅に』でした。友人に後から聞いた所、立ち見の人もいたようで随分と注目されているもんだと実感。僕はその友人といち早くユーロスペースで公開されたばかりの時に見たわけだが、その時と状況が変わったなと思う。テアトル新宿では、観賞後泣きながら出てくるお客さんも見かけた。

 

戦時中の描いたアニメは決して多くはない気がするが、このアニメがいいのは『ホタルの墓』とも違って、戦前戦中戦後にもあった「あたたかい何か」を描いている点だ。もちろん、物語後半の展開は重い。重すぎる。アニメで描いているからこそ、かえって残酷さも浮き彫りになる。僕は最初に観賞した時実に苦しかった。だから、決してたかがアニメなどと軽んずることができない、重いテーマも盛り込まれているのがこの作品の見所。

 

あとは、表現。水彩の良さをこれでもかと用いた手法はジブリの手法とは一線を画していた(『かぐや姫物語』だけは面白い絵で美しさを感じさせましたね)。敵機が攻めて来たときに空に散らされる「絵の具」は見ているこちらにさえも「美しさ」を感じさせた。あとは、主人公すずさんの恋愛事情もとっても魅惑的なのですが、ネタバレは興ざめなので是非とも(DVDなどではなく)劇場で観賞していただければと思います。

 

今年も素敵な映画やアニメに出会いたいですね。