好きなマンガ、映画と音楽と

 治験参加中はゆる〜い軟禁生活ですが、食費も光熱費も浮くので働きたがらない小谷にはありがたーい環境でした。よく「薬の人体実験でしょ?」と素直な疑問をぶつけてくる人がいるのですが、世に出回っている全ての薬はマウスの実験を経た後、人間(主に男性)にも投与して副作用の内容や発症の割合を確認しています。全ての薬には副作用があるし、人体実験を経ていない薬というのもないのです。普段から副作用や薬の弊害に何の疑いも持っていないのに、いざ「治験に参加してるんです」と言うと「それ大丈夫?」などと聞いてくる人に限って、疑うところを取り違えているなあなどと思うのです。そういう人たちにこそ、抗がん剤マンモグラフィー、ワクチンなどの直接的な害について調べて見て欲しいものです。

 

 さて、治験参加中は小説を書き進めていました。とりあえず、今日は刑務所の独房の様子を描写してみました。さらに、治験の入院先のクリニックには小谷の大好物のマンガがたくさんあるので、久々に坂本先生の『孤高の人』(新田次郎原作でこちらもむかし読んだ)を途中まで読み返した。魂が揺さぶられて目頭がなんども熱くなりました。お山が好きじゃない人でもこの作品は楽しんでもらえると思う小谷推薦の一品です。

 退院した今日はその足で心友に会い、一緒に映画を観に行きました。『シンゴジラ』に続く、出所後2本目の劇場映画はクリント・イーストウッド監督作の『ハドソン川の奇跡』でした。イーストウッドさんの作品に外れなしです。これもよかった。僕は個人的には『ミリオンダラー・ベイビー』が大好きですが、こういう実話系も熱い。

トムハンクスが最後

「 We did our job」

と言っていたのが何とも印象的でかっこよかったです。Professionalとはこういう人のことを言うんだなと思いました。

 

吉祥寺に戻って来て、そういう熱があるからか楽器屋で楽譜を三冊大人?買い。いつかギタリストとして仕事をもらえるようになった時、演奏後にいつも

「I did my job」

と自信を持っていられるようなプレイヤーでありたい。これからも努力し続けたいな。おやすみなさい。 

のんびり屋さんの挑戦

 参加中の治験、今日から2クール目の2泊3日。

「全国のプロレタリアートよ」

マルクスエンゲルスさんは呼びかけて、それが世界中を席巻したコミュニズムという怪物になっていった訳ですが、そんな彼らの情熱とは全く無関係に、働くのは疲れるし汗水垂らして働く工場での労働はつまらなかったなあと僕は個人的なことを思い出すのでした。今も介護の仕事は週3〜4日で、執筆中の小説が10万部売れて芥川賞を取って、そんでそんで……。なーんて。

デイドリーマー、そんで、彼女はクィーン。って感じです。

 人間は、潜在能力とかはあるのかも知れんけど、とりあえず自分の持つ能力以上のことはできない。やろうとしても失敗するもんだろう。ってことは自分のペースで生きるのが結局ベストなんじゃなかろうか、といういつもの結論に。

 

 でも、早く以前みたいにライヴしたいな。本も(自費)出版したい。セックスもしたい。また旅もしたい。

 

 今日は、刑務所に到着してからの荷物検査などの描写を書いた。懐かしくなったので、中にいた頃ハマっていた将棋を久しぶりにアプリで楽しむ。3連勝!うは。将棋の師匠は「あの人」ですが、その工場変わってから僕にできた初弟子は、羽生善治の言葉を気に入っていてよく口にしていた。

 

「少しずつ前へ進む      

                                       羽生善治

 

 本も何冊か読ませてもらったし、僕も尊敬している羽生さんは今年の五月だかに佐藤天彦という新進気鋭の若手に、名人戦で緒戦一勝したものの、その後4連敗で保持していた名人位を奪われた。将棋歴2年足らずの小谷が負けたってものすごく悔しいのに、羽生さんのその心中たるや如何ほどだったのか。「3月のライオン」の監修をしている先崎学が「今まで勝ち続けてきたことがすごいんだ」と自身のコラムで羽生善治の経歴を讃えていた。

 

 人間誰しも勝ち続けるのは難しい。しかし、それでも戦い続ける人の背中に小谷は今日も滾る血潮を感じ、自分もそんな風に挑戦し続ける人生を生きようと思うのでした。

 

 

 

再会と立場

 僕は卑しい身分でありながら、介護といういかにも社会貢献してます感たっぷりの仕事をしているのだけれど、先日入浴介助で、以前登録していた事業所で時々介助に入っていた懐かしい利用者さんと再会することになった。

 障害者は人数を確保するために複数の事業所と契約している場合も少なくなく、AとBという2つの事業所と契約している今回の利用者さんと、今度はBの方の事業所から関わるようになったという具合だ。

 

 新しく登録した事業所には事件のことは当然伏せてあるので、事前にFBづてに友人にその利用者さんへの伝言を頼んでいたので、再会の瞬間こそお互いにぎこちなさを感じたものの、入りたての事業所で新人の僕が入浴介助をリードするのは、それでも何だか鼻が高かった。

 脳性麻痺に限らず、障害や難病を抱えているとその寿命、確かLife Expectancyと呼ばれている平均余命(文字通り期待値だ)は我々健常者のそれよりも短い。その人はしぶとそうだけど、最近は体調も崩しがちで入退院を繰り返しているそうで、外にもあまり出なくなったんだそう。活動的な所ばかりを見てきたので、その姿は少し寂しかった。

 

 けれど別れ際、こちらのいろいろを理解した上で、

「みんなには(一部のかつての同僚)ちゅうぺえが生きてた、って言っとくよ」

と言ってくれ、何だか励みにも受け取れた。二年半以上だろうか。とはいえ、久々の再会には違いなかった。

 

出所後の僕に接してくれる人は、皆あたたかい。それもそのはずで、接してくれない人というのは手紙を出しても返事をくれなかった前の事業所の代表とか、そういう人たち。

 彼らは別に性格が悪くて僕のことを無視しているのではない。事件のことで随分と迷惑したはずで、それはその人の人徳や性格とは関係なく、単純に立場の問題だと理解した。母親、妹と関係が切れたのも同質の問題で、個人の人格などはあまり関係ないと思う。これまでは仲良くやってきたのだし、それは単純に立場の問題だ。

 「もののけ姫」でオッコトヌシが

「悲しいこった。一族からタタリガミが出ちまった」

というのと似ていると思う。だから僕も、「関係を続けられない」というのは「お互いに仕方のないこと」だ、と飲み込むように理解している。咀嚼し、嚥下するしかない。悪いのは僕だけで、迷惑したのも彼らであって、だから何というか仕方のないことだ。時間は不可逆だから、親しくしていた人たちとあの頃のように親しくすることは叶わない。だから、僕はまだ償いをしているようで、寂しさに浸かることで少し心が軽くなる。失ったものの重さはその分心が軽くなったと捉えてしまうのが、一番悲しくない解釈なのだ。

 結局、悪いことをしたやつが悪いのだ。一見自分に冷たく振る舞うように見える人だって、単純にその人の性格ということもあろうが、それが上司とか親とかライバルだからというような立場だけの問題だったりするかも知れない。そんな風に見ると、人の見え方もまた変わる。

 うん、いいなこれ。こんな視点も小説に取り入れてみよう。ブログデザイン色々試すかも知れませんが、今後も小谷の独り言にお付き合いくださいませ。おやすみなさい。

 

書き始めた小説と出所後の色々

 現在治験に参加中。

8時に投薬が終了して、15分おきの採血が13:30まで続く。朝食はないので空腹だ。

二泊三日日程が二回なので初回は明日退院と非常に楽だ。

 

出所後の色々とタイトルにしたが、まず父と初めて会食した際に弁護料が130万円だったと知らされたことなどから。留置所などの拘留されていたときに聞いた相場の倍くらいだし、保釈も通らず、執行猶予を取れた訳でもないのにこの金額をふっかけられたのは一体どういう訳か。弁護士には、刑務所から近況を伝える手紙を出したら当たり障りのない返事が来たが、その後警察による証拠品の扱い(PCや携帯に保存された判決前の無断処分)について相談の手紙を出したときには返事はなかった。

 鉛筆一本、CD一枚の返還に関しても、警察は還付書という書類への署名で確認を取るのに、証拠品の内容がデータとなるとその扱いも非常にお粗末だ。これには今尚、納得がいっていない。「事件に使われたものだから」「どれが関係データがいちいち見ていられないから」というのは説明にすらなっていない。半年も接続していなかったHDも全部初期化。ドイツ留学時に撮りためた多くの写真やライヴの動画などは僕の著作物だ。

 刑務所にいるときに官本(⇄私本と区別)で、六法全書で調べたところ、証拠品の没収の判決が出た際には、データを含めて関係物品・データを没収されることがあるらしい。しかし、僕の場合は判決前で正式な書面通知も一切なし。もちろんその場でも抵抗しようとした。またあるいは、ストーカー規制法の最後の条項には「摘要上の注意」という項があり、そこにはおおよそ「相手がストーカー行為者だからと言って、警察が何でも行える訳ではない」ことが明記されている。

 刑務所で篤志面接官面接制度を利用して、司法書士の方に面接相談したところ、「民事訴訟」か「公安に苦情の申し出」をする二つの可能性を示してくれたので、根に持つ小谷は後者の選択は実行を検討中である。民事訴訟については有利な点が無さ過ぎ。

 

 そんな国家権力に対する不満は漫然とあるが、最近は作家デビューを目指して?小説を執筆中である。もちろん、本命は音楽、つまりミュージシャンになることなので、来年の誕生日ライヴでは復活を宣言できるようしっかり準備を進めるつもりだ。ただ文章を書くことは好きだし、印税という響きも魅力的というのもある。何よりピース又吉の『火花』を読んだとき、これ大衆小説じゃん、しかもこんなレヴェルでも賞取れるの?という率直な感想があった。最後に少しどんな文章を書いているかを転載・紹介します。売れるといいな。ストーカーになって世間を騒がせた小谷が書いているのは「恋愛小説」。さあ結末やいかに。ちなみに最近の小谷には大切な人ができた。その人に、校正というか誤字脱字のチェックを頼んでいて、編集担当さんという心強い存在でもある。

 

 雑感。ライヴに行くのも気を遣う。友人のライヴに行こうとして「〇〇ちゃん来るかも知れんのでまた連絡します」とか。つまり、事件のこともあるから被害者側の友人などとは顔を合わせない方がいいというのだ。もちろん、これは当然だ。僕は家族と切れたこともあるし、私有財産(高価なギター他)もほとんど全て失ったからもう十分だと考えている感が、自分の中には確かにあった。しかし、「ああそうか、当時にはなかった僕が気軽に出入りしちゃいけない場所が、今はあるんだ」、「だから本当はもっと気を遣わなきゃいけないんだ」と感じた。「寿」「喪」、その他色々な行事にお呼ばれにならないこともあるかも知れないけど、今の僕は何故だかそれほどヘコまなくなった。すぐにしゃーないか、諦められるのだ。これを即ちに、強くなったからなどと結論づけるつもりはないけれど、これしきのことで「うつ」ぶり返していちゃあ、作家デビューもミュージシャンデビューもままならない。元来「never too late」「forever youth」の精神の持ち主なので、むしろ以前よりもポジティヴ感増してる最近の小谷は、本来の良さがほんのり加味されているだけ。それだけだと思う。言いたいやつには言わせておくことにします。結果を出せたもん勝ちだろう。

 

 では最後に、どんな文章書いているかだけ紹介します。なかなかのんびり屋さんなので、ブログの更新もやっとの思いだが、ようやく8000字くらいかけた小説の一部を抜粋します。

 

 

「ここに僕が文章を記しているのは、記録として自分の当時の気持ちを綴っておきたいとか、あるいは自分の身に起こった出来事、いや事件のことを美化したいからとか、そんな動機からではない。僕の人生は刑務所に来たことで劇的に変わった。僕がここで記しておきたいのは、刑務所に行くと、その受刑者の人生がどう変わり、その後具体的にどうなっていくのか、その事への関心だけだ。ここまで読んでつまらないと思われたなら、僕の刑務所生活や出所後の生活のところまで読んでも同じことだろう。

もしも、恋愛が物語と同義で、恋愛を感じさせないものが物語ではないのだとしたら、例えば男二人が最初から最後まで「あー、セックスしてー」というような他愛もない話を永遠にだべっているような作品などは物語ではないことになる。けれど、今はそんな日常を描いたような作品が注目され映画化されたりする。消費されているのが物語から別の何かへ代わって、あるいは変わってしまったのだろうか。

確かに、(男が)「世界を救う」というような物語は、最近は現実離れしたものが多いような気がするし、我々はすでに食べ飽きた。だからこそ最近のヒーローものには、英雄らしいヒーローも登場しないのかもしれない。僕はここに、自分の恋愛物語を記すつもりでもなければ、それこそ大それた自伝を大成しようなどと目論んでもいない。大きな物語の後にやって来るのは、小さな小さな個人レヴェルのどうでもいいささやかな日常の物語。

人には、これが人生のターニングポイントだと言われるような時点が確かに存在する。僕にとってそれがどの時点であったかを問われたなら、間違いなくこの刑務所に来た日は人生の大きなターニングポイントの一つに数えるだろう。僕は、少なくともこの気持ちを忘れない為に、とりあえずはそのためだけに、今この場所で自分の感じたことをここに記したいと思う。

 

黒羽刑務所。刑務所は最近は矯正施設と呼ばれている。監獄法の廃止に伴って矯正施設法が制定されたときに、そのように呼称されるようにもなった、と後に人から聞いた。黒羽刑務所に到着した我々はまず、職員から渡された施設で着用することになっている衣類や座布団などを受け取る。

その居室着と呼ばれている、舎房で日常的に着用するいわゆる部屋着に着替える前に、我々は身体検査を受けた。拘置所からの移送では数ヶ月ぶりに認められた私服。その私服を脱ぎ、まずは職員らの前で全裸を晒す。その目的は不審物持ち込みの取り締まりが主だが、他にもアトピーやその他の疾患を確認するということもあるようだ。職員の指示に従い、両手もしっかりと広げて見せ、裏返しにして手の甲が確認される。次は足の裏を見せる。

手足の確認のあとは性器の確認だ。これは厳密には陰茎の手術の有無を確かめる目的がある。具体的に言うと、女の子を喜ばせるために陰茎に球を埋め込む手術をしているかどうかを確認したいのだ。これを職員は

「タマ入れはしてないね?」

という風に訊ねてくるのだ。

タマ入れの確認を終えた後は、映画などで見たことがあるかも知れないが、お尻を自分の手でしっかり開いて肛門が確認される。

留置所で、人生で初めてこの肛門チェックを受けた時は一瞬のことではあるにせよ流石に当惑し屈辱も覚えた。アダルトコンテンツで、セクシー女優が恥ずかしいそうに自分の女性器を広げて見せるときもこんな気持ちになるのだろうか。いやきっと違うだろう。何とも言えない気分を、このときも少し感じながら、そんなどうでもいいことを考えながらやり過ごす。検査は一瞬だし、終わればそれと共に屈辱感も消える。

 

 刑務所に来て最初に受ける身体検査は、拘置所に最初に入って最後に出るときと同じように、特に下半身は入念にチェックされた。以後も、毎日二回検身と呼ばれる身体検査を工場で受けることになるが、それはもっと簡易なものだった。」

 

 

とまあ、こんな感じの書き出しです。主人公も別の名前にするし、私小説風に仕上げる予定。これだけの文章でも結構時間がかかる。作家さんて凄いんですね。期待せずに見守ってもらえたらありがたいです。

なみだ

 ストーカーになった僕が書こうとしている本は、恋愛小説だ。それも水村美苗さんの「本格小説」を超えるような作品を書きたいと思っている。けれど、なかなか腰が上がらない。作曲なんかもそうだったけど、稀にすぐに生まれるとき以外は、ライヴやスタジオ練習などの締め切りがないと、書けないことが多かった。しかも書こうとしているのはそれなりのボリュームがあるもので、何となくイメージや構成もできているので、あとは書き始めるだけだ。とりあえず年内というか、三ヶ月後くらいという期限・締め切りを決めたい。

 

さて、昨日は友人と神楽坂の小洒落たレストランのカウンターでうまい牛肉のカルパッチョをいただきながら、茂木健一が語る「人が泣く、涙を流す」理由を友人が教えてくれた。

僕も、事件以前・以後、ともに断続的に泣いた。キレることも多かったが、おおむねよく泣いた。ほんとに泣きたいのは被害者の方だ、と思われるかも知れない。しかし、ストーカー犯罪を犯す者も人の子である。

 

さて、茂木健一は語る。人が泣くのは起こった出来事やある物語に対して、その出来事や内容を決して忘れないために、いつまでも半永久的に脳に記憶させておくために人は「涙を流す」のだと言ったらしい。友人はそれを聞いて、泣いたという。これには感動的な物語や悲劇の両方が含まれるはずだ。

 

僕は、多くのもを失った。まさに自業自得であり、僕のしたことを許せないと感じる多数の人たちには「ざまーみろ」と思われて、全く苦しくないどころか、「自分はまだ許されてはいけない」とさえ感じることもある。ただ、身内に「土下座しにいけ」みたいに言われても、そういう場合には「もう十分罰を受けた」とも思ってしまう。

 

先の日記の記事にも書いたように、かつての音楽仲間から「当時は怒っていた。だけど、いま、小谷にはきらきら輝くような人生を送ってほしいと願っている」と、今後関われないことを前提に叱咤激励の言葉が届いた。そのとき、これでもかというくらい泣いた。涙が止まらなかった。

今日もエクセルシオールでこの記事を書いているが、その時はやはりエクセルシオールで人目を憚らずに鼻水も必死で拭いながら、失ったものへの後悔の念から、そして自分の不甲斐なさ、弱さ、至らなさを呪って泣いた。何度もそのメールを読み返し、そして涙は溢れた。この気持ちを決して忘れてはいけない、もう二度とこのような過ちを繰り返してはいけない、僕の脳がそう涙腺に命じたようだ。

 

代償は大きかったが、得られたものもあった。それは、本当に大切にすべき友情、仲間たちであった。彼らを今度失望させるようなことがあったら、今度こそほんとうに

 

小谷周平なんかに生きる価値はない。

 

でも、それでも人は生きなければならない。涙を拭いながらでも、開かれた眼前の道を進むために、前へと進まなければ。時間は、好むと好まざるとに関わらず、無情にも人生における重要な決断を迫ってくる。仲間たちの期待を裏切らないためにも、強く生きていくことを心に決めた。だからそろそろ上を向いて、笑って、スキップをするような感じで、軽やかに自分だけのマイウェイを歩んで行こう。

グッバイホーム

 もう2年以上前になるが、2年間という期間限定で東京に仕事で出向してきていた友人が、務めを終えて徳島へ帰る段になり、それなら追い出して差し上げようとライヴを企画して、ついでにその旧友の為に生まれて初めてまともなポップソングを書き上げ、ライヴで披露した。2014年の3月か。

僕は歌は専門じゃないけど、歌うことは好きでこのステージでは一曲だけ。

 

この歌詞を読んでいると、奇しくも自分への励ましそのもののように思える。歌は下手だし、ダサい部分もあるけど、自分は酒飲まないのに「プレモルを買い占める」なんて歌ってるあたりは、我ながら自分らしい詞だなと思う。友人である彼は出向を終えて無事徳島に帰ったが、僕はその後徐々に「うつ」になっていってしまい、ついに事件を起こして捕まった。この歌は、当初僕が歌うはずではなかったのだけれど、既にこの頃から少しずつ周りのことが上手くいかなくなり始めていた。

けれど、出所後ブログを始め、再開するつもりのなかったFacebookInstagramなんかをやり始めると、かつての仲間から様々な温かい言葉届き、また再び自分の人生が始まるのだと言う実感が徐々にやってきている。

 

My heart comes back again to life and the place we call home. That is "friends".

 

 

 

 「グッバイホーム」 作詞・編曲 小谷周平

 

youtu.be

 

荷物まとめ車に乗り

空港へ向かう途中 綺麗な桜が僕を見送る

別れ惜しんだ時間とか 比べられないほど

瞬く間に離れる 僕のふるさと

 

まるで詰め込まれた Tokyo Zombies

疲れた人々の 心のSafe House

そんな場所 いつも忘れない

帰るべき Home

 

Say Good-bye  ただ Good-bye

洗いたてのシューズを履いて

道なき道迷っても 振り向かずに

前へと進む グッバイ

 

見慣れぬ景色三田線沿い 酒のカクヤス見つけ

プレモルを買い占める 今日のご褒美

残暑強い9月の日 皇居の周り6周半

最後まで走り切る 君を追いかけ

 

光も駆け抜ける Like an Arrow

過ぎた24ヶ月 Time to go back

いつだって 待っている

僕らの 拠り所

 

Say Good-bye  ただ Good-bye

まだ 辿り着けはしないけど

始まった 冒険は「別れ」に出会う

心の旅 グッバイ

 

いつも気づけないで Losin' control

見失いそうになる Searchin' for myself

望めば輝き 行く先を照らすよ

 

Say Good-bye  ただ Good-bye

まだ 辿り着けはしないけど

道なき道迷っても 振り向かずに

前へと進む

Say Good-bye  ただ Good-bye

たとえ 二度と帰れなくても

君こそが心のふるさと

グッバイ

 

(2014年3月、春)

 

 

追伸

 

「君」つまり、友達こそがいつでも帰れる「ふるさと」なんだというオチは、何ともベタだ。出所した僕は家族ともほぼ無縁、むしろ恨まれることとなったけれど、この曲を贈った友人からは先日「おかえり」の電話があった。東京の夏は暑い。

小谷周平。やりたい事、失ったものとか

「小谷周平」で検索すると、以下のようなサイトやブログがまだいくつか出て来る。と言うかずっと残る。

小谷周平容疑者ストーカー容疑で逮捕【動画・画像アリ】女性宅に窓ガラスを割って無断侵入、そのまま部屋に滞在、帰宅した女性と鉢合わせてもみ合い。ハンマーや火薬所持しており、女性を巻き込み自殺する予定だった!? | エレボスちゃんねる

 

このブログにおいては裁判や事件のこと、被害者との関係に繋がりそうな一切のできごとについては全く触れないつもりだ。

今回、事件を起こしたことで失ったものはたくさんあった。家族との関係や友人、ギター等の財産などである。要するに社会的信頼というやつだ。陳腐な言い回しを拝借すれば、一度失った信頼を取り戻すのには膨大な時間がかかる事だろう。自分がやってしまった事、自分が悪いのだから当然の報いである。

 

昨日は吉祥寺のエクセルシオールで永遠うだうだやっていた。と言うか、東村アキコ先生のマンガ読んで泣いたり、音楽聞いて泣いたり、届いたメール内容を反芻しては泣いたり、泣いてばっかりだった。変なおじさん同然である。

 

というのも、返事は来ないであろう迷惑をかけた相手にメールを送ったら、その人たちから返事が来たのだ。どのように迷惑をかけたのか。彼らは当時僕に救いの手を差し伸べるのが憚られるような立場にありながら、僕に救いの手を伸べようとしてくれていた。いや差し伸べてくれた。馬鹿な僕はその手を振りほどいて、事件を起こした。

結果、彼らの周辺の人間関係は損なわれた、というのはその返事を読んで初めて知ったことであった。僕がめちゃくちゃに壊したのだ。みんなで仲良くやっているだろうから、けれどこれはちゃんとやりますという内容だけでも伝えたかったという個人的な理由は、結果的には満たされなかった。伝える事はできた。

しかし、僕は自分の想像力の乏しさを呪った。「僕のことを憎んでいるかも知れませんが」的な態度の僕の文章に対して、彼らの返事の内容は「あの時は怒っていた」というものであった。が、予想に反して彼らは僕を憎んでいるどころか「今はそんな風に思っていない」むしろ「この気持ちを話したのは、責めるためではなくただ伝えたかったから。小谷はキラキラ輝くように生きていって欲しい」とあった。

彼らは、期待を裏切るように(2通送ったというのもあるが)僕を無視したり、あるいは恨みがましい言葉をぶつけてくれたりはしなかった。むしろ、僕の出所を、社会復帰を激励してくれた。連れ合いの人からは、力になれなかったことの自分の無力さを嘆いたり、食事がメンタルに及ぼす影響とその助言についてつぶさに綴られた文が届いた。

 

胸のつっかえがとれた。そしてメールを受け取った翌日に涙や後悔の念は押し寄せてきた。期待に反して彼らは僕を責めてはくれなかった。そのことが逆に胸につっかえて、苦しかった。嬉しさの涙もあった。でも、お互いに立場上、もう顔を合わせることができなことを了承したメールのやり取りであっただけに、悲しくて泣いた。

彼らが、とうの昔に僕のことを許していたという事実が僕を苦しめた。

苦しめている。

けれど、これは彼らからの贈り物であり、彼らからの最後の愛だと思った。

僕にはこれからの人生があり、心配してくれていた僅かな友人たちとの関係も残ったのだから、彼らに何か恩返しや償いができるとしたら、しっかりと生きることだなと思った。強くそう思った。

 

刑務所では、少しずつうつっぽい症状から回復してきた。新しい友達や「将棋」との出会いも大きかったように思う。僕は音楽活動も少しずつ再開して行きたいと考えている。また、刑務所では15年続けて2年前に止めた日記も再開し、文章書くことが改めて好きだ(僕は言葉の力というものを信じている)ということを思い出した。

願わくは、年内に私費で本でも出版しようか、などと考えている。注目されないだろうし、少ない人たちには叩かれるかも知れない。でも、ここに記したこと以上に事件、刑務所生活を経て思ったこと、感じたことが山のようにあるのだ。

自分の人生の奇跡として、それらをまとめておかなければという感情が湧いて来た。これは創作意欲というやつだ。今月中には原稿にとりかかろう。とりあえず、今週中には新しい部屋に入居できそうだから、とりあえず、すべてそれからだ。

 

改めて、迷惑をかけた人たちには(家族とは切れてせいせいしている。向こうも)償いをしなければ行けないと思うし、自分は心配してくれた人たちのためにはしっかり生きなければと思う。

父とだけはかろうじて連絡を取り合っており、その父から受けた「周りを平和にするような人間に育って欲しい」という願いのこもった名前に恥じない生き方をしようと思う。

友人や父にはこれからも温かく見守っていただければ幸いである。

 

小谷周平