新年

去年を思い出す。

処遇棟で過ごしていた。年末、特別にみんなが24:15、紅白の終了までテレビの視聴が許可されている特別な元旦に、することがないので将棋の本を熱心に読んでいたと思う。ケンカなどしちゃいかんね。

 

さて、今年も色んなことがあった。失ったものや手にしたものをそれぞれ秤にかけてみても、その大きさ重さが分かり判りづらいけど、確かなことは僕の帰りを受け入れてくれる人が存外多かったということ。仕合わせです。

 

さっき三鷹にある千代乃湯でお湯を楽しんでいると、腕も脚もけっこうでかいもんもんを入れたおっちゃんが入って来た。いやいや、こんな大衆浴場はどう考えても彫りもんしてるのアウトでしょう、受付をスルーしてきたんだろうか、と思いつつ観察。まあ僕は慣れているし、案外周りの人、子供も含めてジロジロ見てる風もなく(ま、ジロジロ見てはいけませんね)おっちゃんは溶け込んでました。460円の施設利用料なのに浴場は都内にしては広くて、露天風呂にあったつぼ湯にもどっぷり浸からせていただきました。

 

さて、去年は執筆活動にチャレンジし始めたものの、このブログも含めて相変わらずの小谷はのんびりとマイペースです。今年の抱負とか去年一年を振り返ってとか色々感慨深い想いもありますが、一つよかったなと思うのは僕のことをずっと心配してくれていた友人たちが資金援助をしてくれたり、家に泊めてくれたり、部屋を借りることができたらご飯を作りに来てくれたり、イベントに誘ってくれたり、そういったまごころがあたたかかったことですね。ありきたりな言葉だけど彼らとの友情、関係を今年も大事にするだけだな、という感じです。でも、その関係自体は全く陳腐なものではあり得ない。こんなかけがえのないもの、そういうものはそうそうそこら辺には落ちていない。

 

 

えがたきは

とものささえとまごころかな

 

 

僕が一年間弱施設にいた時、受け取った手紙の総数は実に20を超えた。周りには妻や娘息子がいる者も少なくなかったが、受け取った手紙の数は他の誰にも負けなかった。みんなの信頼を裏切らないよう、さらなる期待にこれからも応えていけるよう、これからも精進して生きたいと思う。

 

本年も、不肖小谷をどうぞよろしくお願いします。

心の澱と親子

心の奥底に溜まったものは不意に顔を出す。

僕は調布署に「パソコンやハードディスクの中味、それらの全てを私の承諾なく処分する必要があったのか。また何処の誰の権限で、何の法律に基づいてその処分の実行を行ったのか?」などの事情説明を求めに行くのをずっと躊躇している。と言うより、もはや諦めた。その場で取り繕いの事情説明がなされた時に自分の感情を制御する自信がないのだ。刑務所を出て人格まで矯正される奴もいるのかも知れないが、「今日出所祝いに早速(シャブを)買いに行くけどね」と出所直前に僕に話している者もいた。懲りた懲りてないとは別に、小谷の怒りの沸点は、留置場や刑務所での時折起こる理不尽な対応の為に随分と低くなってしまった。

 

昨日は、刑務所に手紙をくれた友人たちやその子供たちがうちに集まって、みんなで鍋を囲んだ。そんな友人たちが今日の父親との会食で小谷が飛ばした怒号を聞いたら、まず耳を疑うに違いない。

  「お前らいい加減にせえよ!」

僕の口から阿波弁が突いて出る。客の騒めきも一瞬静まるのが分かる。僕は構わず続ける。店に入ってくるなりの怒声に店員も様子を見にこちらまで来たりする始末。

 

僕の怒りの理由は大体二つだが、その前に状況を説明する。事の発端は僕の奨学金の返済、その返済残額を親が最近一括で支払ったことだった。これは僕に何の説明もなく、僕の個人の肩身のギターを処分したことに対する母からの慰謝の気持ちのつもりなのか、などと軽く解釈していた。父親とは関係良好だが、「立て替えておいたから、今後ゆっくりこちらに返済してくれたらいい」などとぬかし始めた僕は(おそらく顔を真っ赤にして)憤怒の感情を訴えた。毎月9000円弱の支払いで、こちらは何も窮していないものを、なぜ何の断りもなくそのような大金のやりとりを当事者抜きで行ってしまうか、これが一点。二点目は、資金援助を装う体をなして、親としての役目を果たしているかのように自己満足している、その欺瞞にこそ怒りを覚えたのだ。僕は何も頼んでいないのに、支払いはこちらにね、とはなんと恩着せがましいことか。

「これ以上余計なことしたら、ほんまに殴り込みにいくけんな。ちゃんと伝えといて」と父には念を押しておいた。それから、遠くから見守るのも親の役目と思うよと説教をした。

 

父は「周平に何かあったときの為に、ってお母さんが言うけんな。わしは、ほんなんはせんでええと思うとは言うたんじゃけど」などと説明する。僕がまた逮捕されたらということか、馬鹿にするのもほどほどにして欲しい。

 

可哀想なのは父だ。母の勝手な行動に振り回されて、使いっ走りで息子のところに来れば怒声を浴びせられる。けれど、こちらも色んなものを処分されたことに対する感情が蘇ってしまう。

食事の後に出されたお茶を飲みながら、親戚の誰それのおじさんはもう認知症がひどくなってしまって、と死にゆく小松島市で暮らす死にゆく人々の報告を受ける。

「僕はもうあの辺には帰らないから」

ときっぱり父に伝えた。

 

逮捕されると、同僚や大学の友人たちとの関係が変わる。起訴され、そのことが報道され有罪の判決が下ると家族との関係も変わる。刑務所などという所にいよいよ送り込まれるとなると、人生そのものが変わってしまう。

 

みなさん、悪いことはしてもいいと思うけれど(会社の帳簿ちょろまかしたりとか、シャブ・窃盗とか)、それでも過ちだけは犯さないで欲しい。

 

僕は、人からは理解され難い事件をおこしてしまったし、そのことでは言い訳のしようもないのだが、それでも自分がそこまで異常な人格破綻者だとは思っていない。過去に報道を経験し、出所した者にもこれからの人生がある。家族との関係が壊れてしまうのもある程度は仕方のないことだ。それでも僕は生きていかなきゃならないし、僕にはずっと心配してくれている友人たちがいる。

 

『湯を沸かすほどの熱い愛』では「母の不在」も確かにテーマではあったけど、もう一つの重要なテーマは血の繋がらないもの同士の間で築かれていく新たな「家族の絆」だった。僕は友人たちのためにももう過ちは犯さないと誓えるし、彼らとともにこの東京で闘う覚悟ができている。

 

はい、それではこの辺で、今日も仕事に行ってまいります。

みんな、いつもほんとうにありがとう。

湯を沸かすほどの熱い愛

 最近また、レンタルDVDも含めてちょくちょく映画を観賞している。ダニエル・クレイグが主演になってからの007シリーズはスカイフォールまで見た。なかなか面白かった。あとはローンサバイバー。鬼気迫る銃撃戦だった。

 

 昨日は新宿まで出て行って、友人が勧めてくれていた『湯を沸かすほどの熱い愛』を観て来た。あれ、宮沢りえってこんなに魅力的だったっけ、子役も演技すげえな、など胸を震わせるシーンも多い素敵な映画だった。先に言ってしまうけど、この映画が今年の1番です。

 

 この映画、実はポスターだけは毎日見ていた。小谷は出所後、2日に1回は銭湯(行かない日は拭身)に行っているんだが、どこの銭湯にもこの映画の宣伝ポスターが貼ってあるのだ。さて、物語は宮沢りえ演じる主人公が末期のすい臓がん(全身にも転移)であることを告げられるところから始まる。主人公、双葉はいじめを受けている娘でも学校を休ませようとしない気丈な母。二人のやりとりは最後まで目が離せず、ラストで僕は泣いてしまった。

 

 「母の不在」なんて切り出すと、いかにも「フロイト読んでるんですね」的な評論になってしまうけれど、登場する子供たちにはとにかく全員共通して母親の存在が欠如している。まあ、今回はこれが物語の鍵な訳だけれど、徐々に家庭の事情が明らかになっていく手法はベタではあれでも、やはり感動を導く王道だ。僕もこの辺の手順(←将棋的表現)は、自分の小説に是非取り入れたい。

 

 宮沢りえは、こんなかあちゃんいたら素敵だな、と思わせるような気合いの入った繊細な演技をしていた。はっとさせられた。小谷は出所後、実母との縁が切れたが色んな母子の関係があるもんだ、と感慨深かった。双葉のようなかあちゃんだったら、もっと違った生活をしていただろうか。きっと僕はもっときつく叱られていただろうな。

 

 

 今日は部屋を掃除し、片付けたりした。刑務所で友人たちから届いた手紙を引っ張り出してきて眺めていた。送ってくれた友人は全部で4人だけど、すべて合わせた総数は15通を超える。メールやLINEでの通信が当たり前のこの時代、自筆での真心のこもった熱い励ましの手紙ばかりで、彼らからの熱い愛を思い出すのだった。小説は私小説風なので、「主人公が刑務所での厳しい毎日打ちのめされる中ある1通の手紙が・・・」というシ場面・展開も盛り込むつもり。なかなか進まないが楽しみだ。

 

 来週、徳島に帰った1名を除いて手紙を送ってくれた友人3人と一同に会す。吉祥寺の新小谷邸で面識のない者同士も合わせちゃう。刑務所でずっと食べたいと思っていた鍋にしようと思っている。この季節熱い熱い鍋でもつつきながら、絆を確認しつつ体の芯まであったまちゃいましょう!

眠れないよ〜〜る♪

きみのせいだよ〜♪

なんて口ずさんでみる最近の小谷は寝る間を惜しんで将棋アプリに夢中でした。なので、制限した。さっき夜中3時過ぎに目覚めてしまい、またちょっと将棋アプリをしてから、いかんいかんと晩酌しながら友人に借りたマンガを読んでいても眠くならず、じゃあギターを弾こうかと思いつつ、そんなん余計寝れんやんてことですっかりおざなりになっていた執筆活動に復帰。と言っても小説の方はようやく30P原稿仕上げたきり。しかしこれでも本谷有希子の『異類婚姻譚』という短編の一話分くらいの量は書いている訳で。こちとら最低600P以上の長編(?)を構想している訳で。

アプリばかりやってる訳ではなく、最近は営業、と言っても先輩や友人のイベントに顔を出すだけなのでまだまだ収入には繋がりそうにないのだが、親しくしていた奇術家と再会したり、同郷の友人の出展ブースを手伝ってみたりと有意義に過ごす。友達って大事だ。

 

最近観た『アメリカンスナイパー』という映画がよかった。実在した通称レジェンドと呼ばれた人物の物語でグッときた。兵士というのはそれでもやっぱり戦場が居場所らしいが、そんな心故郷にあらずな凄腕スナイパーが

 

"I'm ready to come home"

と奥さんに電話しながら、命からがら激戦区から脱出するシーンは手に汗を握った。

 

 

「真実は小説よりも奇なり」

という言葉がある。アメリカンスナイパーとは比べられないけれど、僕も自分の人生を数奇なものだと感じる。刑務所内での出会い、出所後の再会、彼らのあたたかい歓待。そして新たな恋愛。自分の書いている小説にも(絶対にハッピーエンドにはしないが)これらは盛り込みたい。

喜劇よりも悲劇にこそカタルシスがある。

映画『セブン』では、ラストにヘミングウェイの言葉に言及して締めくくられる。

 

『「世界は素晴らしい。戦うだけの価値がある」と。その後半の部分には賛成だ』

 

小谷は思う。戦う価値のある世界だからこそ、命(人生)が尊いのだと。

おやすみなさい。

 

 

When a man loves a woman

ベット・ミドラーのアルバムを聴いているとこの曲が入っていた。これ、ウェスモンゴメリーが演奏していた曲だ。邦題は男が女を愛するときとかなんだろうか。ライヴ版のアルバムなのでベットが観衆に

「もしも男が、朝早くに他の女の匂いを付けて帰ってきたら、君たち女の子はなんて言う?」とか何とか早口でまくし立てていて、全部は聞き取れないけど、聴衆は大いに盛り上がっている様子。その語りからうまく歌の歌い出し部分に繋げていて感心してしまう。

ベット・ミドラーという女性のことは最近知った。けれど、「The Rose」という曲があるのは随分前から知っていた。最近改めて歌詞を聞くと、とても優しく温かいと思ったので歌い出しだけ紹介したい。小谷の翻訳付きで。

Some say love, it is a river

That drowns the tender reed.

愛とは、柔らかな葦さえも溺れさせてしまう川だと言う人がいる
Some say love, it is a razor
That leaves your soul to bleed.

愛とは、魂から血を垂れ流しにしてしまう刃だという人がいる
Some say love, it is a hunger,
An endless aching need.

愛とは、満たされることのない苦しい欲求、そういう飢えであると言う人がいる


I say love, it is a flower,

けれど私は、愛は花だと思う

And you its only seed.

そしてあなたはその唯一の種だ

 

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今日、利用者さんのサービスに入っていて、2年ぶりのその人のサービスから2回目の本日「Aさんは元気?」「Bさんはどうしてる?」などと訊いていると、

 

「Sさんは1年前くらいに亡くなったよ。」

 

と返事が返ってきた。意外だった。決して親しかった訳ではないけれど、あんなに元気にハンドサッカーという障害者スポーツチームの事務や、大会の運営などに積極的に関わっていた元気な女性だった。何ならついでに容姿も端麗だった。筋肉が骨のように硬化していくという難病の人だった。最後は肺や心臓の筋肉までも硬化してしまい死に至る。

 

「俺ら、チームに色々と宿題を残してくれたよ。Sさんのおかあさんは今でもチームのサポートをしてくれてるよ。Sさんに怒られないように、だってさ。」 

 

 小谷は鬱だった頃、死んでもいい、死んだほうがいい、そういう考えから逃れることができなかった。でも、僕が音楽を始めたきっかけを思い出したら、友人の追悼ライヴだった。死んだ奴の分まで生きてやるほど傲慢じゃありませんけど、Sさんが亡くなっていたことを知って、改めて今後の人生、一生懸命生きて、そんでもって思いっきり楽しんでやろうと思った。

 

小谷は、愛とは

絆の物語だと思う

それは孤独を飲み込み、強い結びつきを証明してくれる

 

なーんて。おやすみなさい。 

僕の師匠は黒子のバスケ事件の渡邊博史

師匠というのは将棋の師匠のこと。

 

withnews.jp

 

渡邊さん、犯行の動機を綴ったものは実は刑務所で出会う前に読んでいた。社会批判的な文章はなかなか達筆だったし、香山リカがコメントしていたのが印象的で、本まで出版してるんだから驚きだ。黒子のバスケにはやはり赤毛の背の高いポテンシャルのある男が登場していて、つまんないマンガだなと思ったが、渡邊師匠には違ったらしい。この裁判についてのネット記事が本当なら、小谷なんかよりよっぽどぶっ飛んでるね、さすが師匠(笑)

 

小谷の事件もスキャンダラスでイっちゃてたけど、世間を騒がせたうちには入らない。有名な人は数えるくらいしかいなかったがそれでも他にいた。僕は渡邊師匠が同性愛者であることは知らずに指していた。アメリカに留学して同性愛に目覚める者も少なからずいる昨今、刑務所で渡邊師匠は恋なんかを楽しんでくれてたらいいな。近々将棋の本を送ろう。

 

刑務所では楽しみがほとんどなかった。それでも二つだけ、これこそはという大きな楽しみがあった。一つは友人との文通で、もう一つは将棋だった。僕は筆まめだったので、月4通の手紙は毎月欠かさず誰かに出していた。余暇時間に手紙を書いたり、テレビをみたりする以外の時間は、将棋を指すか将棋本で研究をしていた。そんな小谷とあんな渡邊さんは工場に出役する平日に設けられた30分の運動時間は、二ヶ月間くらいだけだったけど、余計な雑談などはほとんどせず、将棋を指したり定石を確認したりと将棋の研究に熱心だった。主に「歩」の使い方を教わった。それ以外はずっと指していた。飛車・角落ちという、将棋においてもっとも機動力のある二枚の大駒を抜きにしての戦いでも、ほとんど歯が立たなかった。そんな渡邊師匠の将棋歴は30年らしい。小谷のギター歴より20年以上長えじゃねえか。そりゃ敵わん。

 

今日はそんな師匠のことを思い出してか、新宿の紀伊国屋で羽生さんの基礎本他3冊の将棋本を買って来た。登山も将棋も筋トレも執筆活動もギターも、欲張りな小谷は全部続けてやる。マイウェイを謳歌してやるぜ。師匠、シャバで待ってるぜ!

僕の失敗

春の木漏れ日の中で君の優しさに

埋もれていた僕は 弱虫だったんだよね

 

 

森田童子、暗いよ。

そして小谷周平は人間としてはかなり終わってる。

失敗作と言っても過言ではない。

19歳の誕生日の前日、過失による失火で家を全焼させる。おかんの保険でまったくの新築暮らしで生活を再開できたのはたまたま。ただのまぐれ。燃え上がる炎を見ながら泣いていたおかんの顔を思い出すけど、調布署の面会に来た時もやっぱり泣いていた。事件が報道された後にも面会に来たけどその時どんな顔をしていたかはもう覚えていない。迷惑をかけっぱなしだが、今僕は何も思わない。徳島に帰る場所がなくなった。それで十分でしょう。

 

ネットで事件のことを色々言っている奴らがいて、それが当然で、でも出所者もこれからの人生を生き抜かなきゃいけない。家族と縁が切れようと、多くの人に疎まれようとも、それでも明日はやってくる。

 

「同じ空は明日を始めてしまう

たとえあたしが息を止めても」

 

僕は「家族」ってあんまり信じていない。それこそロマンチックラヴイデオロギーと同じだ。家族という神話もまた解体されて久しい、らしい。確かに家族の中で起こる陰惨な事件の報道が目立つようになった。それは一体いつごろからだったか。「結婚て素敵なこと」「最後はやっぱり家族」……。

おいおい冗談はよしてくれ。アメリカでは配偶者はもっとも自分を殺す可能性が高い人物であるというデータがあるらしい。子供に親が殺される事件だって年に何件かは起こっているはずだ。農村共同体が衰退して核家族化が進み、アル中や鬱になる親に怯えたり引きこもりの我が子に戸惑ってみたり。家族さえも他人。

 

世間や周囲の人に迷惑をかけておいて偉そうなこと言える立場ではないが、人生において「大切なもの」って何だろう。それは誰だろう、って考える。それでも答えはやっぱりシンプルだ。どれだけ自分が落ちこぼれても、僕のことを心配しそばに寄り添っていてくれる人だ。それは僕の場合、家族ではなかった。彼らは世間体を気にし、僕が夢を諦めて田舎で就職をすることを望んでいたらしい。

出所時妹からのメールには

「まず、200万包んで実家に土下座しに行くんが筋じゃないの?」とあった。

僕は

「お前はぶち殺す」

と返事した。

電話がかかってきたようだったが無視をした。死ね、と思った。家族なんか最後はあてにできない。僕は誰かの期待になんか答えない。自分の生きたいように生きる。それで失敗したんじゃないかって?それでもいい。回り道しながら、失敗を繰り返しながら、それでも、僕みたいな人間が生きていていいんだって思えるような絶望的な世界を期待する。

 

僕の家族も、僕のことを心配しなかった訳ではない。それは分かる。けれど、結局は「あんたのせいでどれだけ迷惑したか。引越しに弁護料に、おまけに報道までされて」といった具合で、「とにかく無事でよかった」という火事の際にはあったあの感じは、さすがに今回はなかった。

 

それでいい。疎まれた方が気が楽だ。まだ許されない、それくらいがちょうどいい。憎まれっ子世にはばかるってね。僕は明日も明後日も来月も来年も自分の夢を追いかけている。なんど転んだって起き上がる。生きている限りは、嬉しいことだって悲しいことだってずっと続きはしない。だったら、とことん楽しめるように生きた方がいい。そんな当たり前のことを今日もしんみりと感じるのだ。

 

好きなマンガ、映画と音楽と

 治験参加中はゆる〜い軟禁生活ですが、食費も光熱費も浮くので働きたがらない小谷にはありがたーい環境でした。よく「薬の人体実験でしょ?」と素直な疑問をぶつけてくる人がいるのですが、世に出回っている全ての薬はマウスの実験を経た後、人間(主に男性)にも投与して副作用の内容や発症の割合を確認しています。全ての薬には副作用があるし、人体実験を経ていない薬というのもないのです。普段から副作用や薬の弊害に何の疑いも持っていないのに、いざ「治験に参加してるんです」と言うと「それ大丈夫?」などと聞いてくる人に限って、疑うところを取り違えているなあなどと思うのです。そういう人たちにこそ、抗がん剤マンモグラフィー、ワクチンなどの直接的な害について調べて見て欲しいものです。

 

 さて、治験参加中は小説を書き進めていました。とりあえず、今日は刑務所の独房の様子を描写してみました。さらに、治験の入院先のクリニックには小谷の大好物のマンガがたくさんあるので、久々に坂本先生の『孤高の人』(新田次郎原作でこちらもむかし読んだ)を途中まで読み返した。魂が揺さぶられて目頭がなんども熱くなりました。お山が好きじゃない人でもこの作品は楽しんでもらえると思う小谷推薦の一品です。

 退院した今日はその足で心友に会い、一緒に映画を観に行きました。『シンゴジラ』に続く、出所後2本目の劇場映画はクリント・イーストウッド監督作の『ハドソン川の奇跡』でした。イーストウッドさんの作品に外れなしです。これもよかった。僕は個人的には『ミリオンダラー・ベイビー』が大好きですが、こういう実話系も熱い。

トムハンクスが最後

「 We did our job」

と言っていたのが何とも印象的でかっこよかったです。Professionalとはこういう人のことを言うんだなと思いました。

 

吉祥寺に戻って来て、そういう熱があるからか楽器屋で楽譜を三冊大人?買い。いつかギタリストとして仕事をもらえるようになった時、演奏後にいつも

「I did my job」

と自信を持っていられるようなプレイヤーでありたい。これからも努力し続けたいな。おやすみなさい。 

のんびり屋さんの挑戦

 参加中の治験、今日から2クール目の2泊3日。

「全国のプロレタリアートよ」

マルクスエンゲルスさんは呼びかけて、それが世界中を席巻したコミュニズムという怪物になっていった訳ですが、そんな彼らの情熱とは全く無関係に、働くのは疲れるし汗水垂らして働く工場での労働はつまらなかったなあと僕は個人的なことを思い出すのでした。今も介護の仕事は週3〜4日で、執筆中の小説が10万部売れて芥川賞を取って、そんでそんで……。なーんて。

デイドリーマー、そんで、彼女はクィーン。って感じです。

 人間は、潜在能力とかはあるのかも知れんけど、とりあえず自分の持つ能力以上のことはできない。やろうとしても失敗するもんだろう。ってことは自分のペースで生きるのが結局ベストなんじゃなかろうか、といういつもの結論に。

 

 でも、早く以前みたいにライヴしたいな。本も(自費)出版したい。セックスもしたい。また旅もしたい。

 

 今日は、刑務所に到着してからの荷物検査などの描写を書いた。懐かしくなったので、中にいた頃ハマっていた将棋を久しぶりにアプリで楽しむ。3連勝!うは。将棋の師匠は「あの人」ですが、その工場変わってから僕にできた初弟子は、羽生善治の言葉を気に入っていてよく口にしていた。

 

「少しずつ前へ進む      

                                       羽生善治

 

 本も何冊か読ませてもらったし、僕も尊敬している羽生さんは今年の五月だかに佐藤天彦という新進気鋭の若手に、名人戦で緒戦一勝したものの、その後4連敗で保持していた名人位を奪われた。将棋歴2年足らずの小谷が負けたってものすごく悔しいのに、羽生さんのその心中たるや如何ほどだったのか。「3月のライオン」の監修をしている先崎学が「今まで勝ち続けてきたことがすごいんだ」と自身のコラムで羽生善治の経歴を讃えていた。

 

 人間誰しも勝ち続けるのは難しい。しかし、それでも戦い続ける人の背中に小谷は今日も滾る血潮を感じ、自分もそんな風に挑戦し続ける人生を生きようと思うのでした。

 

 

 

再会と立場

 僕は卑しい身分でありながら、介護といういかにも社会貢献してます感たっぷりの仕事をしているのだけれど、先日入浴介助で、以前登録していた事業所で時々介助に入っていた懐かしい利用者さんと再会することになった。

 障害者は人数を確保するために複数の事業所と契約している場合も少なくなく、AとBという2つの事業所と契約している今回の利用者さんと、今度はBの方の事業所から関わるようになったという具合だ。

 

 新しく登録した事業所には事件のことは当然伏せてあるので、事前にFBづてに友人にその利用者さんへの伝言を頼んでいたので、再会の瞬間こそお互いにぎこちなさを感じたものの、入りたての事業所で新人の僕が入浴介助をリードするのは、それでも何だか鼻が高かった。

 脳性麻痺に限らず、障害や難病を抱えているとその寿命、確かLife Expectancyと呼ばれている平均余命(文字通り期待値だ)は我々健常者のそれよりも短い。その人はしぶとそうだけど、最近は体調も崩しがちで入退院を繰り返しているそうで、外にもあまり出なくなったんだそう。活動的な所ばかりを見てきたので、その姿は少し寂しかった。

 

 けれど別れ際、こちらのいろいろを理解した上で、

「みんなには(一部のかつての同僚)ちゅうぺえが生きてた、って言っとくよ」

と言ってくれ、何だか励みにも受け取れた。二年半以上だろうか。とはいえ、久々の再会には違いなかった。

 

出所後の僕に接してくれる人は、皆あたたかい。それもそのはずで、接してくれない人というのは手紙を出しても返事をくれなかった前の事業所の代表とか、そういう人たち。

 彼らは別に性格が悪くて僕のことを無視しているのではない。事件のことで随分と迷惑したはずで、それはその人の人徳や性格とは関係なく、単純に立場の問題だと理解した。母親、妹と関係が切れたのも同質の問題で、個人の人格などはあまり関係ないと思う。これまでは仲良くやってきたのだし、それは単純に立場の問題だ。

 「もののけ姫」でオッコトヌシが

「悲しいこった。一族からタタリガミが出ちまった」

というのと似ていると思う。だから僕も、「関係を続けられない」というのは「お互いに仕方のないこと」だ、と飲み込むように理解している。咀嚼し、嚥下するしかない。悪いのは僕だけで、迷惑したのも彼らであって、だから何というか仕方のないことだ。時間は不可逆だから、親しくしていた人たちとあの頃のように親しくすることは叶わない。だから、僕はまだ償いをしているようで、寂しさに浸かることで少し心が軽くなる。失ったものの重さはその分心が軽くなったと捉えてしまうのが、一番悲しくない解釈なのだ。

 結局、悪いことをしたやつが悪いのだ。一見自分に冷たく振る舞うように見える人だって、単純にその人の性格ということもあろうが、それが上司とか親とかライバルだからというような立場だけの問題だったりするかも知れない。そんな風に見ると、人の見え方もまた変わる。

 うん、いいなこれ。こんな視点も小説に取り入れてみよう。ブログデザイン色々試すかも知れませんが、今後も小谷の独り言にお付き合いくださいませ。おやすみなさい。

 

書き始めた小説と出所後の色々

 現在治験に参加中。

8時に投薬が終了して、15分おきの採血が13:30まで続く。朝食はないので空腹だ。

二泊三日日程が二回なので初回は明日退院と非常に楽だ。

 

出所後の色々とタイトルにしたが、まず父と初めて会食した際に弁護料が130万円だったと知らされたことなどから。留置所などの拘留されていたときに聞いた相場の倍くらいだし、保釈も通らず、執行猶予を取れた訳でもないのにこの金額をふっかけられたのは一体どういう訳か。弁護士には、刑務所から近況を伝える手紙を出したら当たり障りのない返事が来たが、その後警察による証拠品の扱い(PCや携帯に保存された判決前の無断処分)について相談の手紙を出したときには返事はなかった。

 鉛筆一本、CD一枚の返還に関しても、警察は還付書という書類への署名で確認を取るのに、証拠品の内容がデータとなるとその扱いも非常にお粗末だ。これには今尚、納得がいっていない。「事件に使われたものだから」「どれが関係データがいちいち見ていられないから」というのは説明にすらなっていない。半年も接続していなかったHDも全部初期化。ドイツ留学時に撮りためた多くの写真やライヴの動画などは僕の著作物だ。

 刑務所にいるときに官本(⇄私本と区別)で、六法全書で調べたところ、証拠品の没収の判決が出た際には、データを含めて関係物品・データを没収されることがあるらしい。しかし、僕の場合は判決前で正式な書面通知も一切なし。もちろんその場でも抵抗しようとした。またあるいは、ストーカー規制法の最後の条項には「摘要上の注意」という項があり、そこにはおおよそ「相手がストーカー行為者だからと言って、警察が何でも行える訳ではない」ことが明記されている。

 刑務所で篤志面接官面接制度を利用して、司法書士の方に面接相談したところ、「民事訴訟」か「公安に苦情の申し出」をする二つの可能性を示してくれたので、根に持つ小谷は後者の選択は実行を検討中である。民事訴訟については有利な点が無さ過ぎ。

 

 そんな国家権力に対する不満は漫然とあるが、最近は作家デビューを目指して?小説を執筆中である。もちろん、本命は音楽、つまりミュージシャンになることなので、来年の誕生日ライヴでは復活を宣言できるようしっかり準備を進めるつもりだ。ただ文章を書くことは好きだし、印税という響きも魅力的というのもある。何よりピース又吉の『火花』を読んだとき、これ大衆小説じゃん、しかもこんなレヴェルでも賞取れるの?という率直な感想があった。最後に少しどんな文章を書いているかを転載・紹介します。売れるといいな。ストーカーになって世間を騒がせた小谷が書いているのは「恋愛小説」。さあ結末やいかに。ちなみに最近の小谷には大切な人ができた。その人に、校正というか誤字脱字のチェックを頼んでいて、編集担当さんという心強い存在でもある。

 

 雑感。ライヴに行くのも気を遣う。友人のライヴに行こうとして「〇〇ちゃん来るかも知れんのでまた連絡します」とか。つまり、事件のこともあるから被害者側の友人などとは顔を合わせない方がいいというのだ。もちろん、これは当然だ。僕は家族と切れたこともあるし、私有財産(高価なギター他)もほとんど全て失ったからもう十分だと考えている感が、自分の中には確かにあった。しかし、「ああそうか、当時にはなかった僕が気軽に出入りしちゃいけない場所が、今はあるんだ」、「だから本当はもっと気を遣わなきゃいけないんだ」と感じた。「寿」「喪」、その他色々な行事にお呼ばれにならないこともあるかも知れないけど、今の僕は何故だかそれほどヘコまなくなった。すぐにしゃーないか、諦められるのだ。これを即ちに、強くなったからなどと結論づけるつもりはないけれど、これしきのことで「うつ」ぶり返していちゃあ、作家デビューもミュージシャンデビューもままならない。元来「never too late」「forever youth」の精神の持ち主なので、むしろ以前よりもポジティヴ感増してる最近の小谷は、本来の良さがほんのり加味されているだけ。それだけだと思う。言いたいやつには言わせておくことにします。結果を出せたもん勝ちだろう。

 

 では最後に、どんな文章書いているかだけ紹介します。なかなかのんびり屋さんなので、ブログの更新もやっとの思いだが、ようやく8000字くらいかけた小説の一部を抜粋します。

 

 

「ここに僕が文章を記しているのは、記録として自分の当時の気持ちを綴っておきたいとか、あるいは自分の身に起こった出来事、いや事件のことを美化したいからとか、そんな動機からではない。僕の人生は刑務所に来たことで劇的に変わった。僕がここで記しておきたいのは、刑務所に行くと、その受刑者の人生がどう変わり、その後具体的にどうなっていくのか、その事への関心だけだ。ここまで読んでつまらないと思われたなら、僕の刑務所生活や出所後の生活のところまで読んでも同じことだろう。

もしも、恋愛が物語と同義で、恋愛を感じさせないものが物語ではないのだとしたら、例えば男二人が最初から最後まで「あー、セックスしてー」というような他愛もない話を永遠にだべっているような作品などは物語ではないことになる。けれど、今はそんな日常を描いたような作品が注目され映画化されたりする。消費されているのが物語から別の何かへ代わって、あるいは変わってしまったのだろうか。

確かに、(男が)「世界を救う」というような物語は、最近は現実離れしたものが多いような気がするし、我々はすでに食べ飽きた。だからこそ最近のヒーローものには、英雄らしいヒーローも登場しないのかもしれない。僕はここに、自分の恋愛物語を記すつもりでもなければ、それこそ大それた自伝を大成しようなどと目論んでもいない。大きな物語の後にやって来るのは、小さな小さな個人レヴェルのどうでもいいささやかな日常の物語。

人には、これが人生のターニングポイントだと言われるような時点が確かに存在する。僕にとってそれがどの時点であったかを問われたなら、間違いなくこの刑務所に来た日は人生の大きなターニングポイントの一つに数えるだろう。僕は、少なくともこの気持ちを忘れない為に、とりあえずはそのためだけに、今この場所で自分の感じたことをここに記したいと思う。

 

黒羽刑務所。刑務所は最近は矯正施設と呼ばれている。監獄法の廃止に伴って矯正施設法が制定されたときに、そのように呼称されるようにもなった、と後に人から聞いた。黒羽刑務所に到着した我々はまず、職員から渡された施設で着用することになっている衣類や座布団などを受け取る。

その居室着と呼ばれている、舎房で日常的に着用するいわゆる部屋着に着替える前に、我々は身体検査を受けた。拘置所からの移送では数ヶ月ぶりに認められた私服。その私服を脱ぎ、まずは職員らの前で全裸を晒す。その目的は不審物持ち込みの取り締まりが主だが、他にもアトピーやその他の疾患を確認するということもあるようだ。職員の指示に従い、両手もしっかりと広げて見せ、裏返しにして手の甲が確認される。次は足の裏を見せる。

手足の確認のあとは性器の確認だ。これは厳密には陰茎の手術の有無を確かめる目的がある。具体的に言うと、女の子を喜ばせるために陰茎に球を埋め込む手術をしているかどうかを確認したいのだ。これを職員は

「タマ入れはしてないね?」

という風に訊ねてくるのだ。

タマ入れの確認を終えた後は、映画などで見たことがあるかも知れないが、お尻を自分の手でしっかり開いて肛門が確認される。

留置所で、人生で初めてこの肛門チェックを受けた時は一瞬のことではあるにせよ流石に当惑し屈辱も覚えた。アダルトコンテンツで、セクシー女優が恥ずかしいそうに自分の女性器を広げて見せるときもこんな気持ちになるのだろうか。いやきっと違うだろう。何とも言えない気分を、このときも少し感じながら、そんなどうでもいいことを考えながらやり過ごす。検査は一瞬だし、終わればそれと共に屈辱感も消える。

 

 刑務所に来て最初に受ける身体検査は、拘置所に最初に入って最後に出るときと同じように、特に下半身は入念にチェックされた。以後も、毎日二回検身と呼ばれる身体検査を工場で受けることになるが、それはもっと簡易なものだった。」

 

 

とまあ、こんな感じの書き出しです。主人公も別の名前にするし、私小説風に仕上げる予定。これだけの文章でも結構時間がかかる。作家さんて凄いんですね。期待せずに見守ってもらえたらありがたいです。

なみだ

 ストーカーになった僕が書こうとしている本は、恋愛小説だ。それも水村美苗さんの「本格小説」を超えるような作品を書きたいと思っている。けれど、なかなか腰が上がらない。作曲なんかもそうだったけど、稀にすぐに生まれるとき以外は、ライヴやスタジオ練習などの締め切りがないと、書けないことが多かった。しかも書こうとしているのはそれなりのボリュームがあるもので、何となくイメージや構成もできているので、あとは書き始めるだけだ。とりあえず年内というか、三ヶ月後くらいという期限・締め切りを決めたい。

 

さて、昨日は友人と神楽坂の小洒落たレストランのカウンターでうまい牛肉のカルパッチョをいただきながら、茂木健一が語る「人が泣く、涙を流す」理由を友人が教えてくれた。

僕も、事件以前・以後、ともに断続的に泣いた。キレることも多かったが、おおむねよく泣いた。ほんとに泣きたいのは被害者の方だ、と思われるかも知れない。しかし、ストーカー犯罪を犯す者も人の子である。

 

さて、茂木健一は語る。人が泣くのは起こった出来事やある物語に対して、その出来事や内容を決して忘れないために、いつまでも半永久的に脳に記憶させておくために人は「涙を流す」のだと言ったらしい。友人はそれを聞いて、泣いたという。これには感動的な物語や悲劇の両方が含まれるはずだ。

 

僕は、多くのもを失った。まさに自業自得であり、僕のしたことを許せないと感じる多数の人たちには「ざまーみろ」と思われて、全く苦しくないどころか、「自分はまだ許されてはいけない」とさえ感じることもある。ただ、身内に「土下座しにいけ」みたいに言われても、そういう場合には「もう十分罰を受けた」とも思ってしまう。

 

先の日記の記事にも書いたように、かつての音楽仲間から「当時は怒っていた。だけど、いま、小谷にはきらきら輝くような人生を送ってほしいと願っている」と、今後関われないことを前提に叱咤激励の言葉が届いた。そのとき、これでもかというくらい泣いた。涙が止まらなかった。

今日もエクセルシオールでこの記事を書いているが、その時はやはりエクセルシオールで人目を憚らずに鼻水も必死で拭いながら、失ったものへの後悔の念から、そして自分の不甲斐なさ、弱さ、至らなさを呪って泣いた。何度もそのメールを読み返し、そして涙は溢れた。この気持ちを決して忘れてはいけない、もう二度とこのような過ちを繰り返してはいけない、僕の脳がそう涙腺に命じたようだ。

 

代償は大きかったが、得られたものもあった。それは、本当に大切にすべき友情、仲間たちであった。彼らを今度失望させるようなことがあったら、今度こそほんとうに

 

小谷周平なんかに生きる価値はない。

 

でも、それでも人は生きなければならない。涙を拭いながらでも、開かれた眼前の道を進むために、前へと進まなければ。時間は、好むと好まざるとに関わらず、無情にも人生における重要な決断を迫ってくる。仲間たちの期待を裏切らないためにも、強く生きていくことを心に決めた。だからそろそろ上を向いて、笑って、スキップをするような感じで、軽やかに自分だけのマイウェイを歩んで行こう。

グッバイホーム

 もう2年以上前になるが、2年間という期間限定で東京に仕事で出向してきていた友人が、務めを終えて徳島へ帰る段になり、それなら追い出して差し上げようとライヴを企画して、ついでにその旧友の為に生まれて初めてまともなポップソングを書き上げ、ライヴで披露した。2014年の3月か。

僕は歌は専門じゃないけど、歌うことは好きでこのステージでは一曲だけ。

 

この歌詞を読んでいると、奇しくも自分への励ましそのもののように思える。歌は下手だし、ダサい部分もあるけど、自分は酒飲まないのに「プレモルを買い占める」なんて歌ってるあたりは、我ながら自分らしい詞だなと思う。友人である彼は出向を終えて無事徳島に帰ったが、僕はその後徐々に「うつ」になっていってしまい、ついに事件を起こして捕まった。この歌は、当初僕が歌うはずではなかったのだけれど、既にこの頃から少しずつ周りのことが上手くいかなくなり始めていた。

けれど、出所後ブログを始め、再開するつもりのなかったFacebookInstagramなんかをやり始めると、かつての仲間から様々な温かい言葉届き、また再び自分の人生が始まるのだと言う実感が徐々にやってきている。

 

My heart comes back again to life and the place we call home. That is "friends".

 

 

 

 「グッバイホーム」 作詞・編曲 小谷周平

 

youtu.be

 

荷物まとめ車に乗り

空港へ向かう途中 綺麗な桜が僕を見送る

別れ惜しんだ時間とか 比べられないほど

瞬く間に離れる 僕のふるさと

 

まるで詰め込まれた Tokyo Zombies

疲れた人々の 心のSafe House

そんな場所 いつも忘れない

帰るべき Home

 

Say Good-bye  ただ Good-bye

洗いたてのシューズを履いて

道なき道迷っても 振り向かずに

前へと進む グッバイ

 

見慣れぬ景色三田線沿い 酒のカクヤス見つけ

プレモルを買い占める 今日のご褒美

残暑強い9月の日 皇居の周り6周半

最後まで走り切る 君を追いかけ

 

光も駆け抜ける Like an Arrow

過ぎた24ヶ月 Time to go back

いつだって 待っている

僕らの 拠り所

 

Say Good-bye  ただ Good-bye

まだ 辿り着けはしないけど

始まった 冒険は「別れ」に出会う

心の旅 グッバイ

 

いつも気づけないで Losin' control

見失いそうになる Searchin' for myself

望めば輝き 行く先を照らすよ

 

Say Good-bye  ただ Good-bye

まだ 辿り着けはしないけど

道なき道迷っても 振り向かずに

前へと進む

Say Good-bye  ただ Good-bye

たとえ 二度と帰れなくても

君こそが心のふるさと

グッバイ

 

(2014年3月、春)

 

 

追伸

 

「君」つまり、友達こそがいつでも帰れる「ふるさと」なんだというオチは、何ともベタだ。出所した僕は家族ともほぼ無縁、むしろ恨まれることとなったけれど、この曲を贈った友人からは先日「おかえり」の電話があった。東京の夏は暑い。

小谷周平。やりたい事、失ったものとか

「小谷周平」で検索すると、以下のようなサイトやブログがまだいくつか出て来る。と言うかずっと残る。

小谷周平容疑者ストーカー容疑で逮捕【動画・画像アリ】女性宅に窓ガラスを割って無断侵入、そのまま部屋に滞在、帰宅した女性と鉢合わせてもみ合い。ハンマーや火薬所持しており、女性を巻き込み自殺する予定だった!? | エレボスちゃんねる

 

このブログにおいては裁判や事件のこと、被害者との関係に繋がりそうな一切のできごとについては全く触れないつもりだ。

今回、事件を起こしたことで失ったものはたくさんあった。家族との関係や友人、ギター等の財産などである。要するに社会的信頼というやつだ。陳腐な言い回しを拝借すれば、一度失った信頼を取り戻すのには膨大な時間がかかる事だろう。自分がやってしまった事、自分が悪いのだから当然の報いである。

 

昨日は吉祥寺のエクセルシオールで永遠うだうだやっていた。と言うか、東村アキコ先生のマンガ読んで泣いたり、音楽聞いて泣いたり、届いたメール内容を反芻しては泣いたり、泣いてばっかりだった。変なおじさん同然である。

 

というのも、返事は来ないであろう迷惑をかけた相手にメールを送ったら、その人たちから返事が来たのだ。どのように迷惑をかけたのか。彼らは当時僕に救いの手を差し伸べるのが憚られるような立場にありながら、僕に救いの手を伸べようとしてくれていた。いや差し伸べてくれた。馬鹿な僕はその手を振りほどいて、事件を起こした。

結果、彼らの周辺の人間関係は損なわれた、というのはその返事を読んで初めて知ったことであった。僕がめちゃくちゃに壊したのだ。みんなで仲良くやっているだろうから、けれどこれはちゃんとやりますという内容だけでも伝えたかったという個人的な理由は、結果的には満たされなかった。伝える事はできた。

しかし、僕は自分の想像力の乏しさを呪った。「僕のことを憎んでいるかも知れませんが」的な態度の僕の文章に対して、彼らの返事の内容は「あの時は怒っていた」というものであった。が、予想に反して彼らは僕を憎んでいるどころか「今はそんな風に思っていない」むしろ「この気持ちを話したのは、責めるためではなくただ伝えたかったから。小谷はキラキラ輝くように生きていって欲しい」とあった。

彼らは、期待を裏切るように(2通送ったというのもあるが)僕を無視したり、あるいは恨みがましい言葉をぶつけてくれたりはしなかった。むしろ、僕の出所を、社会復帰を激励してくれた。連れ合いの人からは、力になれなかったことの自分の無力さを嘆いたり、食事がメンタルに及ぼす影響とその助言についてつぶさに綴られた文が届いた。

 

胸のつっかえがとれた。そしてメールを受け取った翌日に涙や後悔の念は押し寄せてきた。期待に反して彼らは僕を責めてはくれなかった。そのことが逆に胸につっかえて、苦しかった。嬉しさの涙もあった。でも、お互いに立場上、もう顔を合わせることができなことを了承したメールのやり取りであっただけに、悲しくて泣いた。

彼らが、とうの昔に僕のことを許していたという事実が僕を苦しめた。

苦しめている。

けれど、これは彼らからの贈り物であり、彼らからの最後の愛だと思った。

僕にはこれからの人生があり、心配してくれていた僅かな友人たちとの関係も残ったのだから、彼らに何か恩返しや償いができるとしたら、しっかりと生きることだなと思った。強くそう思った。

 

刑務所では、少しずつうつっぽい症状から回復してきた。新しい友達や「将棋」との出会いも大きかったように思う。僕は音楽活動も少しずつ再開して行きたいと考えている。また、刑務所では15年続けて2年前に止めた日記も再開し、文章書くことが改めて好きだ(僕は言葉の力というものを信じている)ということを思い出した。

願わくは、年内に私費で本でも出版しようか、などと考えている。注目されないだろうし、少ない人たちには叩かれるかも知れない。でも、ここに記したこと以上に事件、刑務所生活を経て思ったこと、感じたことが山のようにあるのだ。

自分の人生の奇跡として、それらをまとめておかなければという感情が湧いて来た。これは創作意欲というやつだ。今月中には原稿にとりかかろう。とりあえず、今週中には新しい部屋に入居できそうだから、とりあえず、すべてそれからだ。

 

改めて、迷惑をかけた人たちには(家族とは切れてせいせいしている。向こうも)償いをしなければ行けないと思うし、自分は心配してくれた人たちのためにはしっかり生きなければと思う。

父とだけはかろうじて連絡を取り合っており、その父から受けた「周りを平和にするような人間に育って欲しい」という願いのこもった名前に恥じない生き方をしようと思う。

友人や父にはこれからも温かく見守っていただければ幸いである。

 

小谷周平

 

 

 

 

 

 

7月19日

私は2015年の1月に逮捕され、実刑の判決を受け、先週7月14日に出所しました。友人や漫画喫茶を転々としながらも吉祥寺の賃貸物件を申し込み、現在審査結果待ち。

先ほど家族からのメール内容に激昂し、正式に決別した。刑務所でも治らなかったのは、自分の濃ゆ〜い自我だった。

家族との関係も壊れ、金品的にも何も手元にないような状態だけど、心配してくれている友人たちの期待に応えられるよう、これからは死ぬ気で頑張りたい。