性病の検査へ
諸般の事情から昨日、性病の検査へ行って来ました。
普通手順としては、陰性の結果を発表するもんだと思いますが、まあ敢えて。
クリニック内には、小谷よりも明らかに年下と思われる可愛らしい女の子もちらほら。案内の女性スタッフは「パートナーの方も一緒に診察室に入れますので」などと説明していた。ここには二点面白いことが。一つは待合で待機しづらい人への配慮だが、もう一つはスタッフにしてみればパートナーとしか呼べないという点だ。だって、恋人とは限りませんし、同僚だったり兄弟だったり、ないとは言えない。
血液検査と尿検査だけで10分くらいでしたかね。結果は明日は発表。可能性としてはゼロに近いが万が一、HIVなどどれか一つでも陽性が出たら人生が変わる。
エイズをテーマにした重要な映画としては、インターステラーなどで主演だった摩周マコノヒーが主演男優賞を獲った『ダラスバイヤーズクラブ』が必見で、これは是非オススメしたい。未承認薬を巡る政治的な映画とも言えるが、マコノヒー演じるカウボーイ野郎がとにかく熱い。
昨今、日本でも梅毒感染者などが若い人の間で増えているらしい。週刊誌で読んだ。まあ、費用はかかるけれどこういう検査もたまには社会勉強として良いように思う。自分のためである。
ライヴ活動の再開
6月10日に自主企画の誕生日ライヴをやることが決まりました。実際の誕生日は6月5日ですが、早くも楽しみです。
先んじて過去のライヴ動画を公開しつつ(逮捕されてからは非公開でした)、とても恥ずかしい気持ちで見直したいと思います。
これは小谷のオリジナル。
こっちは君が代のフリージャズ風。
https://www.youtube.com/watch?v=ly_O5MMy6q0
あの頃のように弾けるかしらん。いや、あの頃のように弾いても仕方ない。もっと練習して飛翔したいです。おやすみなさい。
ゴーン・ガールとメディアと女と
「女は一体何を考えているか?」
男たちにとって永遠の課題でもあるようなこの問いに、シンプルな答えが用意されていたならば、フロイト先生も精神分析など開拓しなかっただろう。
「もう来ないで」
と告げた次の日には
「お願い、来て」
というような理屈に合わない発言をする、これが女という生き物である。
と書いたらきっと上野千鶴子先生にはお説教をされるに違いない。
(まあそんな人ほど可愛いく思えたりしてしまうのも男だったりしますが。)
自分のしでかした犯罪の内容とは裏腹に、思い起こせばたくさんではないにしろ、年に一度くらい女の子がうちに泊まりに来たりしていた。「ストーカーに追われいてる」という精神疾患持ちの子、友達であるのが大前提であるはずなのにマイ歯ブラシを設置していった子、はるばる大阪から来た子、10以上年が下の女の子、みなそれぞれ個性的だったなと今なら思える。もちろん、変なのもいたので触りもしなかった子もいれば、触りたくても触れなかった子もいたし、色々である。ドイツでのルームシェアを入れると、部屋着にはブラをつけないイケイケロシア人とも半年間同じ空間で過ごしてたっけ。
さてさて、『ゴーン・ガール』をDVD観賞しました。仲良しがノーランの『インターステラー』と一緒に勧めてくれた作品。後者は、『ダラス・バイヤーズクラブ』で主演男優賞をとったマシュー・マコノヒー主演で、まあまあよかった。で、ゴーン・ガールですが『ファイトクラブ』や『ソーシャルネットワーク』のデビッド・フィンチャーな訳ですから、はずれるはずもなく、そして予想の随分斜め上をいく結末に関心しました。殺害のシーンなんかはもう完全にイっちゃってました。
「お、女ってこええ。何考えてるんだ。」というのも一つの強烈なテーマだったと思う。結婚や仮面夫婦というのはあってもなくてもいいようなもんで、究極的には「男女」の歪んだ愛情表現に重点を置いてるわけで、さすが監督。もう一つの重要なテーマはマスメディア(とそれに影響される大衆)。何が言いたいかというと、小谷も自分の報道されたときのキーワードを思い出した訳です(横国卒ストーカー。いかにもニュースで話題になりそうですね)。大衆も決してバカではないが、それでも食いつきそうな餌をやるのが報道だったり、マスメディアの役目。
けれど、まあ印象に残るのは僕のみたいな事件でも、渡辺師匠の脅迫事件のようなものでもなくて、「飛鳥、証拠不十分で釈放」とか、残酷な殺人事件とか、政治家の不用意な発言や不正なんじゃないでしょうか。世の中には、刑務所の職員がイジメで受刑者を殺したり、警察が複数で若い男を軟禁したり、銃で女を射殺したり、イジメで同僚を自殺させたりそういった事件もあるのに、週刊誌などに特集がたまにされるくらいで、記憶に残るような報道のされ方はしない。もちろん、様々な利害関係があるからに違いないからだが。
シェイクスピアの作品の評論などを見聞きすると「普遍性(的)」という言葉がちらちら見受けられる。こと『ゴーン・ガール』においても、人間の本質的な部分を抽出するのにかなり成功していると思う。憎っくきマイハズバンドが不幸になる様を間近で確認するという、この上ない復讐の方法。よくこんな物語を思いついたもんです。モデルにした実際の事件もあるそうですが。
一つ賛同したいのは、報道される事実というのは虚偽は少ないにしても(大げさに報道するのは常套手段)、そこで扱われているのはあくまでも「表層」だけですよ、ということ。自分たち(大衆)の欲する「物語」があるからこそ、事実の方がそちらに反って曲げられていく。そして挙げ句の果てには、警察さえも真相の究明から手を引く始末。これ以上の物語も結末もないでしょう(『セヴン』を思い出しました)。つまり、現代を生きる我々というのは、そういう表層をお茶の間からご飯のおかずにしている訳です。とんだ茶番だ、と思えるかもしれないが、そう思ってしまう人に限って、自分も分かりやすい同質性を求めてしまってはいないだろうか。誰もがみーんな同じような物語を欲してしまうような均質的な社会ではつまらない、フィンチャーがそういったメッセージをこの作品に込めているとはつゆ思わないが、マスメディアの影響力が肥大化した(ソーシャルネットワークで相対化されていればいいですが)現代を生きる我々に警笛を鳴らしてくれているのかなあ、なんて個人的には感じました。まあとにかく、見所は多けれど、主人公の女はかなり怖い奴なのでそれだけでも十分楽しめると思います。是非ご覧あれ。
物語について
今、細田守の『バケモノの子』を観た。断然、『おおかみこどものあめとゆき』の方が好きでした。要約するのは評論としては邪道だが、敢えて物語構造を分析するのなら、おおかみ〜の良さは、おおかみの血が入った子供たちの成長とともに、母親である「はな」自身が成長して行く過程にある。ラストであめが去りゆく姿に胸が締め付けられるのは、はながまた大切な人、その分身を失うことが悲しいから。どうし二度も、と我々は思う。けれど、そんな辛さや悲しみを包み込むように「はな」は「元気で、しっかり生きて!」と笑顔で送り出す。この「優しさ」に小谷は劇場で涙が止まらず、もう一回劇場に足を運んでまた泣いた。この物語は、実ははな自身が彼という大切な存在を失った喪失体験を克服していく、彼女の成長の物語のなのだ。
物語(小説や映画、漫画などの)評論などについて、恩師の故・大里さんから、ロラン・バルトがエクリチュールを提唱して、「テクスト論」が主流になって(あとがきとかで漱石の生い立ちについて語るような評論は古いとした上で、文章についてのみ言及、分析する考え方)うんぬんかんぬん習いました。蓮實重彦が小説で賞を取ってましたが、映画評論にもこの手法は適用できる。登場人物の感情などにではなく、あくまでもスクリーンに映ったもの、のみについて語る。マンガ評論も然り。
ちょっと細かいですが、そして確証はないのですが、おおかみ〜の物語の途中からはなちゃんは髪が短くなって、「くりっ」とした感じになる。これは、亡き旦那やあめの髪型を彷彿とさせなくもない感じではある。細田監督がそこまで狙ったとはとても思えないが、『バケモノの子』を観賞し終えて少し確信しました。「はな」の心の中で「彼」は生き続けている。そして、このテーマはそのまま『バケモノの子』に引き継がれている。しかし、それでもおおかみ〜の方が好きなのは、僕が男の子でこの物語の主人公が「母性」そのものだからなんでしょう。ほんとうに、素敵なアニメ映画です。
『喪男の哲学史』や『喪男の文学史』で論壇を沸かせた?本田透は著書において「物語」の「機能」の一つを
「願望充足の予感」
としていた。
これは小谷も納得できる。つまり「いじめっ子が最終的には成敗されてスカっとする」「片思いの好きな相手と結ばれてハッピーになる」など、例をあげれば枚挙にいとまがない。では悲劇はどうか。『この世界の片隅に』を二回劇場で見た小谷に友人は「あんな重い映画よく二回も観たね」と言っていた。けれども、願望充足だけが物語の機能だとすれば、僕らが求めるのは「救い」ではあっても「絶望」などでは決してないだろう。ただし、その「予感」こそが本質なのだとすれば、「救われない」物語の方でこそ「(現実ではともかく少なくとも物語の中でくらいは)救われたい」という想いは強くなるのではないだろうか。その意味で、本田透の分析は的確だ。心温まる物語以上に、悲劇は胸に刻み込まれる。安っぽいハッピーエンドなんかより、「救われたい」という願いこそは万人が共感しやすい感情だ。
まあ、そんな物語が自分にも書けたらなあという思いから執筆始めた訳ですが、ギターも引かなきゃいけないし、今年もマイペースな自分に追い込みをかけて生きたいと思います。僕自身の物語はまだまだ始まったばかり。
それでは今夜はこの辺で。おやすみなさい。
この世界の片隅に
アニメ映画が話題です。
去年の小谷が選ぶベストシネマは文句なく
『湯を沸かすほどの熱い愛』
ですが、、、
アニメ部門は、これまた文句なく
『この世界の片隅に』
です。
友人と忘年会をした時に、テアトル新宿で『14の夜』という思春期の男の子の物語を観たときに、一つ前の上映スケジュールが『この世界の片隅に』でした。友人に後から聞いた所、立ち見の人もいたようで随分と注目されているもんだと実感。僕はその友人といち早くユーロスペースで公開されたばかりの時に見たわけだが、その時と状況が変わったなと思う。テアトル新宿では、観賞後泣きながら出てくるお客さんも見かけた。
戦時中の描いたアニメは決して多くはない気がするが、このアニメがいいのは『ホタルの墓』とも違って、戦前戦中戦後にもあった「あたたかい何か」を描いている点だ。もちろん、物語後半の展開は重い。重すぎる。アニメで描いているからこそ、かえって残酷さも浮き彫りになる。僕は最初に観賞した時実に苦しかった。だから、決してたかがアニメなどと軽んずることができない、重いテーマも盛り込まれているのがこの作品の見所。
あとは、表現。水彩の良さをこれでもかと用いた手法はジブリの手法とは一線を画していた(『かぐや姫物語』だけは面白い絵で美しさを感じさせましたね)。敵機が攻めて来たときに空に散らされる「絵の具」は見ているこちらにさえも「美しさ」を感じさせた。あとは、主人公すずさんの恋愛事情もとっても魅惑的なのですが、ネタバレは興ざめなので是非とも(DVDなどではなく)劇場で観賞していただければと思います。
今年も素敵な映画やアニメに出会いたいですね。
When a man loves a woman
ベット・ミドラーのアルバムを聴いているとこの曲が入っていた。これ、ウェスモンゴメリーが演奏していた曲だ。邦題は男が女を愛するときとかなんだろうか。ライヴ版のアルバムなのでベットが観衆に
「もしも男が、朝早くに他の女の匂いを付けて帰ってきたら、君たち女の子はなんて言う?」とか何とか早口でまくし立てていて、全部は聞き取れないけど、聴衆は大いに盛り上がっている様子。その語りからうまく歌の歌い出し部分に繋げていて感心してしまう。
ベット・ミドラーという女性のことは最近知った。けれど、「The Rose」という曲があるのは随分前から知っていた。最近改めて歌詞を聞くと、とても優しく温かいと思ったので歌い出しだけ紹介したい。小谷の翻訳付きで。
Some say love, it is a river
That drowns the tender reed.
愛とは、柔らかな葦さえも溺れさせてしまう川だと言う人がいる
Some say love, it is a razor
That leaves your soul to bleed.
愛とは、魂から血を垂れ流しにしてしまう刃だという人がいる
Some say love, it is a hunger,
An endless aching need.
愛とは、満たされることのない苦しい欲求、そういう飢えであると言う人がいる
I say love, it is a flower,
けれど私は、愛は花だと思う
And you its only seed.
そしてあなたはその唯一の種だ
ーーーーーーーーーーーーーーーー
今日、利用者さんのサービスに入っていて、2年ぶりのその人のサービスから2回目の本日「Aさんは元気?」「Bさんはどうしてる?」などと訊いていると、
「Sさんは1年前くらいに亡くなったよ。」
と返事が返ってきた。意外だった。決して親しかった訳ではないけれど、あんなに元気にハンドサッカーという障害者スポーツチームの事務や、大会の運営などに積極的に関わっていた元気な女性だった。何ならついでに容姿も端麗だった。筋肉が骨のように硬化していくという難病の人だった。最後は肺や心臓の筋肉までも硬化してしまい死に至る。
「俺ら、チームに色々と宿題を残してくれたよ。Sさんのおかあさんは今でもチームのサポートをしてくれてるよ。Sさんに怒られないように、だってさ。」
小谷は鬱だった頃、死んでもいい、死んだほうがいい、そういう考えから逃れることができなかった。でも、僕が音楽を始めたきっかけを思い出したら、友人の追悼ライヴだった。死んだ奴の分まで生きてやるほど傲慢じゃありませんけど、Sさんが亡くなっていたことを知って、改めて今後の人生、一生懸命生きて、そんでもって思いっきり楽しんでやろうと思った。
小谷は、愛とは
絆の物語だと思う
それは孤独を飲み込み、強い結びつきを証明してくれる
なーんて。おやすみなさい。
好きなマンガ、映画と音楽と
治験参加中はゆる〜い軟禁生活ですが、食費も光熱費も浮くので働きたがらない小谷にはありがたーい環境でした。よく「薬の人体実験でしょ?」と素直な疑問をぶつけてくる人がいるのですが、世に出回っている全ての薬はマウスの実験を経た後、人間(主に男性)にも投与して副作用の内容や発症の割合を確認しています。全ての薬には副作用があるし、人体実験を経ていない薬というのもないのです。普段から副作用や薬の弊害に何の疑いも持っていないのに、いざ「治験に参加してるんです」と言うと「それ大丈夫?」などと聞いてくる人に限って、疑うところを取り違えているなあなどと思うのです。そういう人たちにこそ、抗がん剤やマンモグラフィー、ワクチンなどの直接的な害について調べて見て欲しいものです。
さて、治験参加中は小説を書き進めていました。とりあえず、今日は刑務所の独房の様子を描写してみました。さらに、治験の入院先のクリニックには小谷の大好物のマンガがたくさんあるので、久々に坂本先生の『孤高の人』(新田次郎原作でこちらもむかし読んだ)を途中まで読み返した。魂が揺さぶられて目頭がなんども熱くなりました。お山が好きじゃない人でもこの作品は楽しんでもらえると思う小谷推薦の一品です。
退院した今日はその足で心友に会い、一緒に映画を観に行きました。『シンゴジラ』に続く、出所後2本目の劇場映画はクリント・イーストウッド監督作の『ハドソン川の奇跡』でした。イーストウッドさんの作品に外れなしです。これもよかった。僕は個人的には『ミリオンダラー・ベイビー』が大好きですが、こういう実話系も熱い。
トムハンクスが最後
「 We did our job」
と言っていたのが何とも印象的でかっこよかったです。Professionalとはこういう人のことを言うんだなと思いました。
吉祥寺に戻って来て、そういう熱があるからか楽器屋で楽譜を三冊大人?買い。いつかギタリストとして仕事をもらえるようになった時、演奏後にいつも
「I did my job」
と自信を持っていられるようなプレイヤーでありたい。これからも努力し続けたいな。おやすみなさい。
のんびり屋さんの挑戦
参加中の治験、今日から2クール目の2泊3日。
「全国のプロレタリアートよ」
とマルクスとエンゲルスさんは呼びかけて、それが世界中を席巻したコミュニズムという怪物になっていった訳ですが、そんな彼らの情熱とは全く無関係に、働くのは疲れるし汗水垂らして働く工場での労働はつまらなかったなあと僕は個人的なことを思い出すのでした。今も介護の仕事は週3〜4日で、執筆中の小説が10万部売れて芥川賞を取って、そんでそんで……。なーんて。
デイドリーマー、そんで、彼女はクィーン。って感じです。
人間は、潜在能力とかはあるのかも知れんけど、とりあえず自分の持つ能力以上のことはできない。やろうとしても失敗するもんだろう。ってことは自分のペースで生きるのが結局ベストなんじゃなかろうか、といういつもの結論に。
でも、早く以前みたいにライヴしたいな。本も(自費)出版したい。セックスもしたい。また旅もしたい。
懐かしくなったので、かつてハマっていた将棋を久しぶりにアプリで楽しむ。3連勝!うは。将棋の師匠は「あの人」ですが、その工場変わってから僕にできた初弟子は、羽生善治の言葉を気に入っていてよく口にしていた。
「少しずつ前へ進む
羽生善治」
本も何冊か読ませてもらったし、僕も尊敬している羽生さんは今年の五月だかに佐藤天彦という新進気鋭の若手に、名人戦で緒戦一勝したものの、その後4連敗で保持していた名人位を奪われた。将棋歴2年足らずの小谷が負けたってものすごく悔しいのに、羽生さんのその心中たるや如何ほどだったのか。「3月のライオン」の監修をしている先崎学が「今まで勝ち続けてきたことがすごいんだ」と自身のコラムで羽生善治の経歴を讃えていた。
人間誰しも勝ち続けるのは難しい。しかし、それでも戦い続ける人の背中に小谷は今日も滾る血潮を感じ、自分もそんな風に挑戦し続ける人生を生きようと思うのでした。