再会と立場

 僕は卑しい身分でありながら、介護といういかにも社会貢献してます感たっぷりの仕事をしているのだけれど、先日入浴介助で、以前登録していた事業所で時々介助に入っていた懐かしい利用者さんと再会することになった。

 障害者は人数を確保するために複数の事業所と契約している場合も少なくなく、AとBという2つの事業所と契約している今回の利用者さんと、今度はBの方の事業所から関わるようになったという具合だ。

 

 新しく登録した事業所には事件のことは当然伏せてあるので、事前にFBづてに友人にその利用者さんへの伝言を頼んでいたので、再会の瞬間こそお互いにぎこちなさを感じたものの、入りたての事業所で新人の僕が入浴介助をリードするのは、それでも何だか鼻が高かった。

 脳性麻痺に限らず、障害や難病を抱えているとその寿命、確かLife Expectancyと呼ばれている平均余命(文字通り期待値だ)は我々健常者のそれよりも短い。その人はしぶとそうだけど、最近は体調も崩しがちで入退院を繰り返しているそうで、外にもあまり出なくなったんだそう。活動的な所ばかりを見てきたので、その姿は少し寂しかった。

 

 けれど別れ際、こちらのいろいろを理解した上で、

「みんなには(一部のかつての同僚)ちゅうぺえが生きてた、って言っとくよ」

と言ってくれ、何だか励みにも受け取れた。二年半以上だろうか。とはいえ、久々の再会には違いなかった。

 

出所後の僕に接してくれる人は、皆あたたかい。それもそのはずで、接してくれない人というのは手紙を出しても返事をくれなかった前の事業所の代表とか、そういう人たち。

 彼らは別に性格が悪くて僕のことを無視しているのではない。事件のことで随分と迷惑したはずで、それはその人の人徳や性格とは関係なく、単純に立場の問題だと理解した。母親、妹と関係が切れたのも同質の問題で、個人の人格などはあまり関係ないと思う。これまでは仲良くやってきたのだし、それは単純に立場の問題だ。

 「もののけ姫」でオッコトヌシが

「悲しいこった。一族からタタリガミが出ちまった」

というのと似ていると思う。だから僕も、「関係を続けられない」というのは「お互いに仕方のないこと」だ、と飲み込むように理解している。咀嚼し、嚥下するしかない。悪いのは僕だけで、迷惑したのも彼らであって、だから何というか仕方のないことだ。時間は不可逆だから、親しくしていた人たちとあの頃のように親しくすることは叶わない。だから、僕はまだ償いをしているようで、寂しさに浸かることで少し心が軽くなる。失ったものの重さはその分心が軽くなったと捉えてしまうのが、一番悲しくない解釈なのだ。

 結局、悪いことをしたやつが悪いのだ。一見自分に冷たく振る舞うように見える人だって、単純にその人の性格ということもあろうが、それが上司とか親とかライバルだからというような立場だけの問題だったりするかも知れない。そんな風に見ると、人の見え方もまた変わる。

 うん、いいなこれ。こんな視点も小説に取り入れてみよう。ブログデザイン色々試すかも知れませんが、今後も小谷の独り言にお付き合いくださいませ。おやすみなさい。