心の澱と親子

心の奥底に溜まったものは不意に顔を出す。

僕は調布署に「パソコンやハードディスクの中味、それらの全てを私の承諾なく処分する必要があったのか。また何処の誰の権限で、何の法律に基づいてその処分の実行を行ったのか?」などの事情説明を求めに行くのをずっと躊躇している。と言うより、もはや諦めた。その場で取り繕いの事情説明がなされた時に自分の感情を制御する自信がないのだ。刑務所を出て人格まで矯正される奴もいるのかも知れないが、「今日出所祝いに早速(シャブを)買いに行くけどね」と出所直前に僕に話している者もいた。懲りた懲りてないとは別に、小谷の怒りの沸点は、留置場や刑務所での時折起こる理不尽な対応の為に随分と低くなってしまった。

 

昨日は、刑務所に手紙をくれた友人たちやその子供たちがうちに集まって、みんなで鍋を囲んだ。そんな友人たちが今日の父親との会食で小谷が飛ばした怒号を聞いたら、まず耳を疑うに違いない。

  「お前らいい加減にせえよ!」

僕の口から阿波弁が突いて出る。客の騒めきも一瞬静まるのが分かる。僕は構わず続ける。店に入ってくるなりの怒声に店員も様子を見にこちらまで来たりする始末。

 

僕の怒りの理由は大体二つだが、その前に状況を説明する。事の発端は僕の奨学金の返済、その返済残額を親が最近一括で支払ったことだった。これは僕に何の説明もなく、僕の個人の肩身のギターを処分したことに対する母からの慰謝の気持ちのつもりなのか、などと軽く解釈していた。父親とは関係良好だが、「立て替えておいたから、今後ゆっくりこちらに返済してくれたらいい」などとぬかし始めた僕は(おそらく顔を真っ赤にして)憤怒の感情を訴えた。毎月9000円弱の支払いで、こちらは何も窮していないものを、なぜ何の断りもなくそのような大金のやりとりを当事者抜きで行ってしまうか、これが一点。二点目は、資金援助を装う体をなして、親としての役目を果たしているかのように自己満足している、その欺瞞にこそ怒りを覚えたのだ。僕は何も頼んでいないのに、支払いはこちらにね、とはなんと恩着せがましいことか。

「これ以上余計なことしたら、ほんまに殴り込みにいくけんな。ちゃんと伝えといて」と父には念を押しておいた。それから、遠くから見守るのも親の役目と思うよと説教をした。

 

父は「周平に何かあったときの為に、ってお母さんが言うけんな。わしは、ほんなんはせんでええと思うとは言うたんじゃけど」などと説明する。僕がまた逮捕されたらということか、馬鹿にするのもほどほどにして欲しい。

 

可哀想なのは父だ。母の勝手な行動に振り回されて、使いっ走りで息子のところに来れば怒声を浴びせられる。けれど、こちらも色んなものを処分されたことに対する感情が蘇ってしまう。

食事の後に出されたお茶を飲みながら、親戚の誰それのおじさんはもう認知症がひどくなってしまって、と死にゆく小松島市で暮らす死にゆく人々の報告を受ける。

「僕はもうあの辺には帰らないから」

ときっぱり父に伝えた。

 

逮捕されると、同僚や大学の友人たちとの関係が変わる。起訴され、そのことが報道され有罪の判決が下ると家族との関係も変わる。刑務所などという所にいよいよ送り込まれるとなると、人生そのものが変わってしまう。

 

みなさん、悪いことはしてもいいと思うけれど(会社の帳簿ちょろまかしたりとか、シャブ・窃盗とか)、それでも過ちだけは犯さないで欲しい。

 

僕は、人からは理解され難い事件をおこしてしまったし、そのことでは言い訳のしようもないのだが、それでも自分がそこまで異常な人格破綻者だとは思っていない。過去に報道を経験し、出所した者にもこれからの人生がある。家族との関係が壊れてしまうのもある程度は仕方のないことだ。それでも僕は生きていかなきゃならないし、僕にはずっと心配してくれている友人たちがいる。

 

『湯を沸かすほどの熱い愛』では「母の不在」も確かにテーマではあったけど、もう一つの重要なテーマは血の繋がらないもの同士の間で築かれていく新たな「家族の絆」だった。僕は友人たちのためにももう過ちは犯さないと誓えるし、彼らとともにこの東京で闘う覚悟ができている。

 

はい、それではこの辺で、今日も仕事に行ってまいります。

みんな、いつもほんとうにありがとう。