殺人者との生活とか

 私小説風小説は、結局序章書き上げたままで止まっているのだが、最近は借金返済の目処がほんの少しだけついたので、介護の仕事を減らして、音楽活動はそのままに執筆を再開しようとも目論んでいる。そこで、小説には盛り込まないであろう内容を少しだけここに記したいと思う。

 

 まず、刑務所での生活はやはり過酷である。それは何回めだからもう慣れたというような経験がものを言う世界では内容に思う。刑務所というと、アイヒマン実験とかについて語りたくもなる小谷だが、実際刑務官からのイジメで死亡した受刑者というのはいるらしい。中で聞いた話を手短に説明すると、その受刑者の死因は肛門に押し込まれたホースからの放水による内臓破裂だというのだ。日本での話である。気になるのであれば調べてみて欲しい。

 

 さて、そういった刑務官悪の視点から人間分析するのも面白い。けれどここでは、初めての刑務所生活で最初で最大の衝撃であった、22歳ベトナムの少年と過ごした2週間について少し話したい。その少年の罪状は強盗と殺人だった。本人が言うのだから間違いない、とは決め付けられないのが刑務所生活での常だが、彼の話には性犯罪者がそれを隠すためにつくような嘘はなかった。少なくとも、微塵も感じられなかった。本人曰く、ベトナム人同士の抗争で「相手は銃を持っていた。ヤらなければやられていた。だから敵の大将の首をナイフで掻っ切った」と。

 

 教訓工場で、刑務所のルールや諸動作を覚えるための2週間、僕は雑居と呼ばれる今日同室で5名の受刑者と2週間の共同生活を行った。片言の日本語をそれでもそれなりの速さで喋り、ほぼ聞き取れていたベトナム人のディンのその時の語り口調(正確には上記の言葉通りではなかったが)は、とても殺人を犯したというような事実を告げる口調では到底なかった。ただ、自慢げという訳でもなく、ある程度仕方のない正統性のあるもののようにも、その時は感じられた。周りで話を聞いていた者も、それをさほど異様な事であるかのように捉える空気などなかった。まあ、そういった空気はホリエモンの本を読んでも伝わるだろう。

 

 刑務所にも種別というものが多少なりともあって、僕がいた栃木の黒羽刑務所は「初犯刑務所」だったので、「殺人を犯した者」は外人しかいなかった(ヴェトナム人と中国人は工場には何人かいたし、みな刑期が長いからそれなりの役職に付いていた。)。日本国籍で殺人を犯した者は、「ロング」の府中とか千葉に行くらしい。詐欺や横領、痴漢や強姦、暴行に障害、窃盗、いろんな奴らがいた。嘘をつくやつもいたし、部屋の中で殴り合いの喧嘩が始まったこともあった。僕自身も喧嘩をして工場を別のところに飛ばされたりした。

 思い出してみても異様な世界だった。出所して初めてこういう風にブログに書いているが、不満しかなかったあんな生活の中で、友人たちと文通できたのは本当に心の支えになった。年末は、喧嘩調査の為、テレビのない処遇棟にぶち込まれていたので、観れるはずだった紅白歌合戦も見れなかった。ひたすら羽生さんの将棋本を読み耽っていた。

 

 しんど過ぎる、自由が極限まで制限された過酷な生活だったが、思い出してみると楽しいこともあったなと思う。運動会ではオヤジ(通称。工場長のこと)初め工場の者みんなが一丸となるし、ソフトボール大会は漫画ルーキーズの世界とそれほど違わない。悪たちが野球に夢中になるのだ。僕も参加して、活躍し、みんなから褒められたのはほんとに嬉しかった。

 

 ただまあ、でもじゃあ戻りたいかと訊かれると、もう二度と戻りたくはないけれど、思い出やネタとしては十分すぎる土産話だなと思う。ああ、もうこんな時間だよ。起きてるのが見つかったら処遇棟に連行される。寝よ寝よ(笑)。

おやすみなさい。