火垂るの墓

 ここ数日でオウム真理教元幹部ら13人の死刑が執行されて、海外からだけではなく、国内の死刑反対論者からも非難の声が上がっている。僕も死刑反対論者で、理由は冤罪人を殺さないという大義もあるが、もう1つの懸念は「条件つきで人を殺すの認める国家が産む弊害」だ。さて、ここでその是非を議論したいのではない。半世紀ちょい前に、我が国に核爆弾を落として謝罪をしていない国がある。13人が死刑になってこれだけ避難の声が上がっているのに、核爆弾2個も落として一般市民が大量虐殺されたのに謝罪は愚か、非難さえされてこなかったってのは一体どういう訳なんだい。

 日本という国の文化は、ひたすらに健気な部分がある。はだしのゲンなどは反戦マンガだと思うが、去年から話題の『この世界の片隅に』などにも反戦(反米)の要素は見られない。物語の最後では米兵が日本に進駐してきて日本が豊かにさえなった印象を持たせる作品だった。非常に、心に残る残酷で美しいアニメだった。

 さて、『火垂るの墓』である。終戦日前に見ておきたくてDVD借りてきて今年も観た。やはり泣いた。ガイナックスの代表岡田斗司夫が「僕は芸術が嫌いだ。でもこれは芸術だ。だから大嫌いだ」とこれ以上ない賞賛をした。高畑監督がな亡くなってさらに緻密にこの映画を分析している動画を見かけたりもした。さて、岡田氏が指摘したように清太さんは節子より多く食べたがために節子より長生きをする。空襲時に空き家で盗みを働く清太がついでにたらいのお米を貪るシーンは、その動かぬ証拠であり、確かな事実だろう。

 でも、止まらない涙が物語に少しでも救いや意味を見出したかったので、こたには独自の解釈と希望的観測を持って、途中から清太と節子を見守った。清太は途中節子に伝える。「にいちゃん、金おろしてきたらもうどこにも行けへん。ずっと節子のそばにおるから」というような言葉だった。それは節子の「いやや、いやや。にいちゃん、どこにも行かんといて」という懇願に対する返事だった。

 これ、岡田さんが指摘されてるかどうかは僕は知らない。勿論岡田さんが指摘されたあの親戚の家を飛び出して節子を死なせたのは清太で、これはそういう物語なのだという点は作品を観ての通りだ。しかし、節子が死んでから後にも清太には岡田さんが指摘した親戚に頭を下げて世話になる選択をすることもできた。あるいは、米軍が進駐して来ているのだから、清太がその気になれば一人で仕事くらい見つけられただろう。自立が難しい年や状況だったとしても、やはり親戚に助けを求める選択肢は確かにあったはずである。

 

 ここからがこたに独自の解釈と希望的観測です。清太は節子を火葬する時には涙を見せてません。警察まで節子が迎えに来た時、あるいは節子がおかあちゃんがお墓の中にいるの知っていたという事実を聞いた時などにはあれほど涙を溢れさせていたのに。ただ、これは節子が亡くなって清太の気持ちが軽くなったとかそういうことではない。節子は清太にとって最後まで大事であった。だからこそきちんと棺桶を用意し(それこそ全財産をつぎ込んだのだろう)、節子の大切にしていたものを一緒に入れて送り出したのだ。

 ここからは冒頭部分の話に繋がるが、清太も最後には栄養失調による衰弱で亡くなったようだった。その場面ではおにぎりを置いて行く人の描写もあるが、スイカもろくに食べれなくなってしまった節子同様に、清太はそのおにぎりを食べる体力もなく尽きてしまった。清太は結局節子の分も力強く生きるということはなかった、これはそういう描写かも知れない。あるいは節子が亡くなった時に、もしくは節子と約束した時に「ずっと節子のそばにいる」ことを決心していたのかも知れない。

 火葬にする時、節子を送り出す清太の表情はあまりにも悲しみからは遠い表情をしていた。これ以上の分析はできない。すればそれはただの憶測になる。だから、事実が大事なのである。清太はどんな手を使って(盗みを働いたりして)でも生き延びることはしなかった。それだけが事実なのである。これは日本人同士の物語を描いた作品である。爆弾が落ちて節子が死んだ訳ではない。清太もまた、戦争によって死んだわけではない。

 岡田斗司夫がこの作品を芸術だと評する理由はよく分かる。何度見ても、見るたびに新しいことに気づかされる。高畑監督の新しい作品がもう見られないのはとても残念なことだが、こんなにも大きな作品を僕たちに残してくれたことには本当に感謝したい気持ちだ。毎年8月が近づいたら、あるいは終戦日などには必ず見たい、そんな作品だ。