生産性と市民権

 大学時代に日本の先駆的フェミニスト上野千鶴子先生の『家父長制と資本制』を読んで、そこに出てきた「再生産性」の意味が印象的だったのを覚えている。再生産性とは「労働力(生産性)を生産する性能」のことである。で、これ、今政治家が叩かれている文脈とは異なる。勿論意味は同じです。つまり、この言葉の意味を同性愛者という言葉とセットで用例を作ると「同性愛者には再生産性がない」という文が出来上がる。ただし、上野千鶴子がアホウな政治家たちと違うのは、「生殖能力」を正統化する結婚制度を真っ向から否定しているからである。

 その根拠の1つを彼女の言葉を借りて示すなら「なんで、わざわざこの人のおちんちん(あるいはおまんこ)は私のもんです、なんて国に公言せなあきまへんの」ということである。彼女は結婚の性質を「生殖と生活を共にすること」とし、そしてその本質を「契約者の性器を専有すること」と捉えた。

 

 こっち系の本を読んでない人がいきなりこの主張や見方を知ったら、いやいや「家族の絆」とか「財産の共有」とかもっと感情的な部分や経済的な部分もあるじゃないか、と思われるだろう。しかし、家族や経済というものを根本的に支えているのは「生殖行為」なのである。子供を産むのも、育った子供が社会に出て働くのも全ては「出産」があったから。女性が彼を産んだからだ。だから彼女は結婚という制度を否定する。つまり、唯一の正しい恋愛や結婚のあり方というのは「男女が性器を結合させ、愛し合い、子を産み育てること」だと。それこそが正統な異性の関係であると、イデオロギーはささやく。

 で、僕は大学時代に興味関心が1番あったのがロマンチック・ラヴ・イデオロギーで、これまた厄介なやつなのだ。その特徴を1つだけ挙げるなら「この世にたった一人、自分と運命で結ばれた異性がいる」というアレである。この物語かなり影響力あるんです。だからこそ、上野先生も対幻想などに触れる訳ですが僕はもう覚えていないし、興味のある方は調べて読んでみてください。彼女の主張が最も分かり易かったのは、小倉千加子との対談本『ザ・フェミニズム』だ。まあ、アホウが「生産性がない」とかひどい発言したのでちょっと触れてみました。

 あとは歴史的に見て、近代化してもなぜだか、同性愛者やセクシュアルマイノリティだけは市民権なかなか得られない。ヨーロッパでは過去に「魔女狩り」が起こって、しばらくしてナチによる障害者や同性愛者の虐殺があった。日本で市民権を得た順序というのは「女性→障害者→セクシュアルマイノリティ」がある程度そのまま人類の歴史の縮図になっているようにさえ思われる。ここで言う市民権とは人権のように、その人が個人として社会的に認められるために、その人に保障されている法的権利のことである。

 僕はヘテロセクシュアルだが、この問題は自分と無関係だと思っていない。ここに書いたような議論はもう、20〜30年前からある話だ。ミシェル・フーコーの『性の歴史』なんかにもあるテーマなのかも知れない(すみません、読んでません)。なんてゆーかさ!今の日本はさ!もっと多様性を認めていこうよ!!おやすみっ!!