大量虐殺

 大量虐殺といえばホロコーストが有名だ。僕は大学時代にドイツに留学していたこともあって、ヒトラーへの反省が強いドイツ人の意識についても現地で実際に触れている。加えて、『白バラの祈り』他、ナチスヒトラーに関連するような映画も少からず見たし、アイヒマン実験など普通の人がどれだけモンスターになれるかといういくつかの実験についても調べたことがある。

 世界的に見れば、日本ではずっと南京大虐殺が歴史的問題とされているが、スターリンルーマニアチャウシェスクなどによって行われた粛正による死者の数も膨大なはず。『奇跡の教室』という映画だったと思うが、学生たちがホロコーストについて勉強し始めたときに先生が大量虐殺の定義を教えていた。その定義は確かこんなものだった。「ある人種や民族を計画的に根絶やしにすることだ」と。

 

 さて、前置きが長くなったけど10月末に語りたいのはインドネシアが舞台の映画。撮影したのは、イギリス、デンマークノルウェーのチームでそのタイトルは『ルック・オブ・サイレンス』だ。この映画、ウィキによると『アクト・オブ・キリング』の姉妹編なんだそうで、どちらも、1965年9月30日にスハルト政権下で行われた共産党員狩りを目的として100万人以上が殺害された事件をテーマにしたドキュメンタリーである。テーマの深さと重さもだが、このドキュメンタリー映画としての手法が、とにかく凄い。

 自分が生まれる前に殺害された兄を持つ主人公が、兄の殺害に関わった関係者にインタビューを行い、時には(僕はあなたを憎んではいませんがと前置きした上で)「あなたは自分がしたことの責任から逃れようとしていませんか」と問い詰める。しかも、映像の構成として、このインタビューの合間に、ボケてしまったおじいちゃん(父)の介護する母の映像や、「こうやってペニスを切り裂いてやったんだ」と得意げにデモンストレーションをしてみせる実行部隊の映像を独り部屋で観賞する主人公の映像が挟まれる。正直に言って、何とも言えない気持ちになる。

 インドネシアでは、共産党狩りに貢献した人は政治家になっていたりと、皆地位のあるポストに収まっている。そして、殺害した人の血を飲んで「気がふれる」ことを回避した人たちは、「自分が悪い事をした」と思うどころか、皆得意げに自慢をする。その欺瞞を、この映画は見事に暴き、世界中に告発することに成功している。カトリック教会の欺瞞を暴いた『スポットライト』を彷彿とさせるが、殺害された数や、顔を晒して関係者にインタビューを試みた主人公からもこのドキュメンタリーが扱うテーマの重さは比べられないものだ。

 映画の中でも、何度か「こんな話をするんなて聞いてないぞ」と相手が声を荒げる場面がいくつかあった。さらには映画のクレジットには「ANONYMOUS」の表記が数多く見受けられた。これは匿名の意味で、このテーマがインドネシアでは根強くタブーとして存在していることを象徴していた。僕らは映画を見終えてしまえば、直接は関係のない歴史問題かも知れないが、実行犯が政治家や権力者として跋扈インドネシアで生きる共産党員の子供として育った人たちにとっては、まさに命そのものに関わる問題なのだと痛感した。

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 ここまで、語ってだけでもこの映画の重さが伝わったかと思うが、『アクト・オブ・キリング』はもっと凄かった。是非観て欲しい。他の記事でもすでに語ったかも知れないが、あのデビィ夫人は「スカルノの汚名をそそいでくれた」と監督のジョシュアに感謝の意を伝えたそうである。