表現の不自由展について。検閲だの、テロに屈しただの。まあ、そういう側面もある
んでしょう。美術展って芸事とはちょっと違うんでしょうかね。税金が使われていることを指摘してる人もいるみたいだし。例えば、ニガーって単語が連発されるタランティーノの映画の上映が上映禁止になるような映画館、今の日本にはないでしょう。音楽も芸術もその都度ポリコレに挑んできたアーティストがいたから今があるわけで。ニューシネマパラダイスに至ってはキスシーンがダメ、っていう設定でしたよね。
 従軍慰安婦問題を知らない若者がいるんであれば、この機会に勉強すればいいと思う。なぜ日韓の関係がここまで良くないのかとかも。けれども、問題は作品が反日だとか、表現の自由を侵害する国家検閲だとかそういう方向に行ってしまっていること。
 「これはりんごではありません」っていう有名な作品(絵)をなんか思い出すかな。
そして、そもそも芸術って本質的には必要ないもんですよね。音楽だって、なくても
生きていける。そういう意味では白いお米の方がよほど価値がある。でも、果たして
本当にそうか、っていうところが人間の、芸術的作品の面白い点だと思うのです。無意味、無価値だからこそ美しい、そしてそれらを追求するのがアーティスト。
 ジミヘンだって、アメリカ国歌を歪ませたじゃんね。他の誰もなし得なかったことをやってのけたから、今でもあのウッドストックは伝説となってるのでは。結果超政治的な試みでもあった。でも、芸術、作品の批評や評価で1番つまらないのは、政治的な意味だけに還元してしまう姿勢ですね。ジミヘンは多分自分の感覚の行くままに演奏しただけだと思う。
 かっけぇなあ!おい!
 
 で、まあさすがに表現の不自由展、テロ予告までは想定してなかったんでしょうね。まだ、芸術作品が世に与える影響がかなりあるという意味では、これからの音楽の世界的な影響力にも期待できるのかしらん。小谷としては、あれ?津田先生たしか浜ちゃんのビバリーヒルズコップを真っ先に、黒人差別だし今時あれはダメだ、と指摘してませんでしたっけ。今回の件と合わせて少しちぐはぐを感じてしまう。笑いにしたから、いけないって事だったのかな。
 芸術至上主義って言葉もありますが、意味のないもの、価値のないものに美しさや面白みを見出すから、芸術っていいのです。音楽って素敵なのですよ。あくまでも鑑賞する側の内面に、対象がほんの少しでも語りかけるのであればそれは作品と呼べるでしょう。色んな解釈があっていいと思うし、社会的な議論も歓迎してるかも知れない。
 
 経過に関しては、まあなんだかなぁという感じではある。けれど、日本にあまた存在するアーティストたちが今回の騒動をきっかけにまた別の面白い切り口を見いだしてくれるのであれば、それは結果としてはそれほど悪くないと思うのです。
マルクスの理論になぞらえると、あくまでも上部構造に位置する文化、それに含まれる芸術は、下部構造である経済に依存するということになります。これは確かにあると思う。軍部が政権握るような国家では小説や映画を自由に作れる訳がない。でも先進国が経済的にある程度発展した現在、芸術や表現の世界(コミケとか全部含む)が経済や世界の方をひっくり返しちゃう、そんな時代の在り方も可能性の1つとしてあっても面白いのでは、などと期待しちゃう小谷なのでした。あー、あとね、作風が破壊的であっても、芸術や表現の先に「平和」を目指していないのであれば、そいつはアーティストじゃねえから。これは今回の問題の核だと思うから最後に強調しておく。
 今回の件に限らず、色んな問題提起はされてきていると思う。大切なのは結局個人の意識かな。仕事落ち着いたら、また作曲しよう。おやすみなさい。