『光』と『最強のふたり』

 昨夜、河瀬直美の『光』を見た。『あん』に続いて永瀬とのタッグだが、個人的には後者の方が断然好きでした。河瀬監督の終盤に自然の美しさを強調してこちらの心を揺さぶってくる手法より、僕はどちらの序盤描き方の方が好き。淡々と(裏側には)「こういう過程(あるいは問題)があります」を提示。この示し方が完璧である。また、メタ認知的であるのもいかにも日本映画という感じだ。「視覚障害者の為の映画」であると同時に物語の中でもその制作過程が難航中。なかなか最後まで目が離せなかった作品だった。

 さて、『最強のふたり』はかなり良い作品だった。障害者もので光にも通づるがもっと広く捉えれば、あんのハンセン病患者も含め近代以前にはほぼ「存在さえしない者」として扱われた存在をテーマにした作品だ。フランス映画と言えばとにかくゴダールトリュフォーに言及する奴への偏見が強く、そこから仏映画に対してもいいイメージはなかったが、この作品は僕が抱く従来の仏映画のイメージを完全に払拭してくれた。内容はとりあえず見てくださいということで、まあ面白かったのは黒人が最初はラフ(過ぎw)ながらも四肢体完全麻痺の主人公に対し、少しずつ介助慣れしていく辺りだ。僕も介護士として現場で働いるので、現場で戸惑うこと、楽しいことなど共感できる場面もいくらかあった。まあ現実はこんなにドラマチックではないものの、介助を必要とすると者介助をする者との関係をこんなに生き生きと描いた作品はないだろう。

 

  さて、僕が個人的にぐっときたのは、介助者を雇う富豪の主人公に親戚が大丈夫か?と個人的に尋ねる場面。

「みんな心配している。知り合いに聞いたが、あの黒人、凶悪犯とは言えないが窃盗を犯して刑務所にも行っている」と。これに対し主人公は、

「あいつは僕に対して何の憐れみも抱いていない。僕の体が動かないことも忘れて電話を渡そうとした。今の僕には彼が過去に何をしたかなんてどうでもいいことだ」

と動揺した様子もなく返す。こんなに美しいシーンはないと思った。

 人間がその過去でしか評価されないのであれば、そういう人間はすべてこれから必死になって何かをやろうとしてもダメな訳で。これは障害を持つ方だけではなく、社会的にマイノリティとされている人間を救うことを象徴する名場面だったと思う。是非一度観て欲しい。