【耳を傾ける動機】
私は、学生時代からフェミニズムやジェンダー論の講義を受けてきたので、女性の権利やセクシュアリティというテーマを考える機会はあった。それでも、学生時代や卒業後に、日本社会に当たり前のように存在している性犯罪をエンタメ化するようなAVや、繁華街に立ち並ぶ性風俗店を、女性の権利の観点から考え、これらを問題として意識するようなことを私はしてこなかった。しかしながら、日本社会における性暴力の実態は大学の講義で学ぶことがなかった。そこに教諭や医師、自衛官や検察、その職業に関係なく性暴力をふるう加害者が存在すること。その数だけ被害経験やPTSDを抱えながら生きていて、子どもや性的マイノリティだけでなく、高齢者であっても性被害に遭うという現実があることを、私はSNSや報道される事件化されたケースから少しずつ学んでいった。そして、こうした被害に遭ったことを語ることや事件化のために告発することが、サバイバーにとって決して容易ではないことも今では知っている。だから、事件の経緯を知りたいという理由であっても「どうして付いて行ったりしたの?」と悪気なくサバイバーに尋ねることが、セカンドレイプと呼ばれる二次加害行為であることも理解している。
そして大学で私が出会わなかったもう一つの、なかなか理解が追い付かないSNSで散見される言説がある。現在進行形の言説、それは「セックスワーク論」だ。これは、アカデミアの女性研究者たちもどうやら支持しているらしい。このセックスワーク論への批判はすでに他の記事で展開したので、ここではあまり重複させない。しかし、SNS上ではセックスワーク論を支持する人が、まるで「性売買サバイバーの声は聞かなくてよい」と考えているかのように性売買サバイバーへの厳しい反応を見せている現実が、これまで刑法の改正を先延ばしにすることで「サバイバーの声を不可視化してきた」家父長制の利害と一致しているのではという懸念もあり、私が読んできたものから性売買サバイバーの声を少しでも届けられたらと思い、この記事のために筆を執った。私が出会ったのは、『道一つ越えたら崖っぷち』(アジュマブックス、2022年)を著した性売買サバイバーのポムナル氏の言葉たちだった。(ここでいう性売買の売春の主体は、それを管理する業者を指す。女性のことではない)
【性売買サバイバーの体験談】
いま、この記事を書くにあたって部分的に引用するためにポムナル氏のこの著書を手元に用意しているが、改めて読み直したわけではない。こちらはポムナル氏が管理性売買の世界を生き抜いてきた記録の断片が詰まっており、それは400Pを超える内容となっている。最初に読んでから2年、あるいはそれ以上経過したかも知れないが、思い返しながら、その複雑な背景や構造、個人の内面としての話を列挙的に伝えられたらと思う。
まずポムナル氏には貧困という家庭の背景があったこと。中学校の教育もまともに受けることができなかったこと。そうした日常の中で、父親からの身体的虐待があったこと、バスの運転手からの性被害に遭ったこと、近所のお兄さん的存在との曖昧な関係から連絡が取れなくなったようなこと、工場で仲良くしていた友人が「夜のバイト」に誘ったことなど、管理性売買の世界に繋がる前に、様々な暴力を受けた背景が語られていた。
夜の世界についての話は、私は知らないことが多かった。ポムナル氏の実体験が要約することで、その重要な部分が削がれることがあってはならないが、経緯を私なりに要約したい。管理性売買の直性の入り口となる最初のきっかけは、「カラオケからのアフター」みたいな形態だったようで、そこから済州島にも行くことなり、そののち「あそこに行ったらおしまい」と言われているようなガラス部屋という密集地域にも流れ着いた。そこからさらにコーヒーの配達員のような形態のものを経験したという話だった。およそこの間に、何店舗もの「移籍」を決して帳消しにできない借金とともに転々としていったのだそうだ。こうした生活から抜け出すのに20年もかかったということを、今でも講演で涙を流しながら語っておられると聞いている。
こうした苦しい夜のおつとめの中では、通称バクダンと呼ばれる、ときにたばこの灰さえ混じったお酒のちゃんぽんを飲まなければならなかったこと、客から直接的に殴られるような暴力被害にあったこともあったそうだ。また慕ってくれるねえさんの家で鍋をしているだけで店長が勘繰り、その結果店長に感謝さえしていた姉さんが店を去っていったことなど、そうした夜の世界の厳しさがあった。他にも警察からの呼び出しのようなものがあったこと(これは公権力への上納金の話として私は理解)、日本の新宿と同じように、性風俗店での火災でそこにいる女性がなくなった事件があったこと、それがきっかけ大きな社会運動につながっていったこと、色んな経験談や出来事が綴られていた。
【経験の再解釈として】
また同著で、著者が自分の経験を再解釈し、当時の内面世界を振り返るという視点があるのは、非常に勉強になると同時に、こうした過程は非常に苦しいものであったはずだと想像しながら読んだ。葛藤があるとも書かれている。それは、そこでときに暴言を吐かれることがあっても、自分はオーナーから一番気に入られているという考えが当時の自分にはあったという話や、性売買のことを家族にようやく打ち明けたときの家族の反応の話。他には性売買の世界から一度抜け出したあとに、またその世界に引き戻される経験の話などもあった。これはとても苦しく読んだ箇所だった。日ごろから美容サロンに資金投資するという金銭感覚や昼夜逆転の生活が、一般的な就労を継続することを難しくさせるのだそうだ。
ポムナル氏は自活支援センターに繋がってからの工場勤務でも、同僚との会話で「ねえさん神~」というような受け答えをしてしまったことを気にして、もうその工場に行かなかったという話もあった。特に、支援センターに繋がっていると説明しているのに「おねえちゃんはまた騙されている」というような反応を見せる妹さんとのやり取りは読んでいてつらかった。ただその後も、ポムナル氏は妹に(夜の世界に入る前の)レイプの被害のことを打ち明けていて、その夜の記述があった。
「妹の目に涙が溜まり、何も言えずにうつむいた。私たちはその日、互いの痛みに寄り添い涙を流した。妹の涙から私は強い姉妹愛を感じた。堂々としていようと心に決めた。私の経験が私をむしばまないようにする唯一の方法は、暴力を暴力だと言い続けることだ」
(同著P399)
ポムナル氏は、今度は自身がアウトリーチ活動を続けて、ピアサポーターとして抜け出せずにいる少女たちに声をかけているのだという。20年間抜け出せなかったその世界から抜け出して、今も振り返るという作業を行っているそうだ。
「自助グループとムンチの力を得て、私は社会に向けて声をあげ始めた。性売買の搾取構造、女たちがそこに流れていく過程、性売買から抜け出すのを難しくさせるのはなんなのか、性売買から抜け出したあとの人生などについて、勇気を出して私の経験を話した。人々は私が話す経験に、泣いてくれ、励ましてくれた。私に同情したり、かわいそうだと言ったりする人たちはいなかった。私の勇気に拍手を送ってくれる人たちがいるということに、私がこの世に対して持っていた先入観が崩れていったりもした。(中略)
もう私の経験を恥ずかしく思ったりはしなかった。すべてのことは自分が悪いのだと考えていた習慣もだんだんと消えていった。これらを可能としたのは、まさに自助グループとムンチの活動だった。どこででも話せなかった胸の痛い経験を一緒に分かち合うことで、私が生きてきた過去を再解釈できるようになった。(中略)
経験の再解釈を続けている。ときに苦しくて涙が流れるが、私は少しずつ強くなっている」
(同著P390~391)
【女性の性をお金で買えるという構造の中で】
「性売買から抜け出したあと、店を転々としていた20年あまりの間、一度も聞いたことがない「セックスワーク論」と出会うことがあった。「売られていく恐怖」を感じてみたことがないから言える、理論だけに埋没している言葉だと思った。女性を消費することがあまりにも自然で根深い強固な構造において、労働という概念を現場の現実に適用するには無理がありすぎる。性を売る女性が主体的に生きていけるようにするというのであれば、多くの女性たちが性売買に流れていき、一度離れてもまた戻っていかざるをえない根本的な問題から解決されなければならないのではないだろうか」
(同著P374)
これは私が何か説明するような余地のないくらい説得力のあるセックスワーク論への批判である。こうした性売買経験当事者の言葉から、社会での運動体であるラディカル・フェミニズムの本質が反「性売買構造」であると同時に脱「性搾取構造」であるようにも考えられる。韓国は、ショーケースとして有名だった性売買地域が今では廃墟となっているという朝日新聞の記事があった。理由は、法律の改正があり、買春者や性売買の斡旋から利益を得ることが違法になっただけではなく、土地を貸し出すことも規制の対象になったからだそうだ。また、国や自治体などの行政は、性売買の渦中にあった女性たちへの自立支援に必要な措置を講じるように定められたそう。こうした法の改正があったのが2004年のできごとだそうだ(※1)。こうした、社会での状況改善があったのは、ポムナル氏のような性売買経験の当事者らが声をあげ、活動を続けてこられたことの賜物に違いない。
「性を売る女という理由で顧客に殴られ、血を流していても、私には人権などというものはなかった。業種によって私が出会った顧客たちの挙動を振り返ってみたが、顧客たちが性売買の女性に接する態度は、基本的にみんな同じだった。私は長い間私が出会ってきた彼らの汚い行為は、私の個人的な経験だとばかり考えており、その暴力を一人だけで対処してきた。しかし、他の性売買経験当事者たちと語り合いながら、それは性売買の女性であれば出しても経験する暴力であったということを知ることになった。
20年あまりの間の経験を通じて、私は女性の性を金で買う男、脆弱な環境に置かれている女性を斡旋するオーナーがいなかったら、性売買を減らすことができると信じている。韓国には性売買の店に通う男たちがあまりにも多いせいで、性を買わない男を特別な存在のように捉える雰囲気さえある。しかし、性を買わないということは人間として当然な行動である。今は私が見ていた性を買う男たちの醜悪な姿を一つ残らず告発し、世の中に示すことが私の目標でもある」
(同著P330)
【まとめにかえて】
ここまで、活動家であるポムナル氏の著書からその言葉や語りを見てきた。私がこの記事をきちんとまとめようと思い立つ少し前に、SNS上でネット右翼らしきユーザーが、自分は忘れていないという言い方で、以前韓国にも性売買が当たり前にあったという話を、鬼の首をとったように投稿していた。これは、歴史認識として全然正しい見方ではない。韓国で性売買が密集する地域では、ナカイやマエキンなどの言葉が飛び交っていたらしい。これは、日本こそが支配下となった韓国に公娼制を持ち込んだ犯人だったという根深い背景がある。これは、韓国の経済を性売買依存させたことは、日本の責任であるともいえる。SNSで、先のネトウヨのような発信をすることは何重にも差別的で、日本が支配の歴史、その加害性に無自覚であり続けていることの現れでもある。
私は、異性である女性を性愛の対象とするヘテロセクシュアルの男性で、だから周りにも同じ男性が多いことからホモソーシャルなやり取りを経験することがある。SNSでも書いてはいるが、そうしたホモソなやり取りの中に「一緒にオンナを買いに行こう」というものがある。そして、私は自分が独身だから、パートナーいるやつから、私が自ら「性風俗に行こう」と言い出すのを期待しているのかなと思われるようなやり取りの経験もあった。不貞や浮気の細かい定義はさておき、私が性風俗に男の知り合いを誘って一緒に行けば、それはただの「男同士のつきあい」となる。私は、このように第三者に伝えるための書き方をしてはいるが、私もホモソなやり取りの前ではにこにこしてやり過ごしてもいる。しかし、男たちが「いつでも買えるオンナ」の話をするとき、そこに女性たちの個別の人格への尊重はない。それが、男たちだけで話す空間だからこそ実感できる、男の付き合いという顔をした男尊女卑の正体だから。
先日、東京大学の教授が企業から性接待を受けたことが収賄の罪で逮捕されたという事件報道の記事が流れてきた。違法な斡旋をする男性、キックバックを受け取るスカウトグループの摘発などを見かけるにつけても、管理性売買の本質は男たちが男たちのためにひねり出す人身取引であって、女性の自己決定の場であるとはとても思えない。商業的な取引を成立させるために、菓子折りを持参するのではなく、女性に性接待をさせる。そのために違法なスカウトや斡旋をする別の男性集団がいる。どこまでいっても、管理性売買の世界は、男性のための男性の取引のために、女性の性を介在させているだけのようにしか見えない。
また、一度このように社会が管理性売買に経済依存してしまうと、そこから脱却するのは大変になるだろう。特にこのように、「性に寛容」などと嘯く陰で、性暴力が横行してきたような日本社会ではなおさらのこと。管理性売買の存在は、性差別、性支配そのものだ。日本が、女性の権利が当たり前に保障されるという、成熟した社会を目指すのであれば、家庭内虐待やデートDVなどが理由で管理性売買の世界に流れ着いてしまう少女たちを、韓国のように自立に繋げるような社会支援制度を設計すべきだ。
そして、性産業や管理性売買の世界の話となると、どうしても「それは性暴力である」という認識にフィルターがかかってしまうように思う。これは、アカデミアで研究者がセックスワーク論を支持することの懸念の延長でもあるが、SNS上のセックスワーク論に閉塞感を感じるのは、「性暴力を性暴力だ」と言うことが憚られるような空気にさせられるから。私は、同じ性売買経験当事者が二つの立場に分かれて対立することは家父長制社会を利することにしかならないと思っている。
だから、そうした議論をいったん脇に置いておけるなら、女性を取引の材料としてしかみなさないような管理性売買が当たり前の社会を、日本は脱却すべきだと考える。私個人は、2つのアウトリーチ活動をする団体に寄付をしているが、こうした支援活動は、本来は国が行うべきだと思う。今回、売春禁止法の改正が話題になっている中で、報告書の内容こそ吟味はまだできていないが、議論が後退しているという話を憂慮している。少しでも管理性売買の世界にからめとられる少女たちが減るようにという願いから、ポナムル氏の著書『道一つ越えたら崖っぷち』を紹介させていただいた。こうした管理性売買の世界の中で虐げられ、性搾取に遭ったという被害の声が、一般の性暴力被害の声と同様に扱われるような日本社会となることを切望する。
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<参考文献>
『道一つ越えたら崖っぷち』(ポムナル著、アジュマブックス、2022年)
朝日新聞有料記事(※1)
性搾取から離れ初めて得た安心の場 「たくさん食べ、眠る」女性たち:朝日新聞
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASV8V2GQ3V8VUTFL011M.html?pn=5&unlock=1#continuehere
(注釈※2)
ムンチとは、韓国語で団結を意味する「性売買経験当事者ネットワーク」の名称。性売買から抜け出した女性たちが自活、自立をできるように包括的な支援を行っている。
