韓国の性売買サバイバーの声を聴く

【耳を傾ける動機】

 私は、学生時代からフェミニズムやジェンダー論の講義を受けてきたので、女性の権利やセクシュアリティというテーマを考える機会はあった。それでも、学生時代や卒業後に、日本社会に当たり前のように存在している性犯罪をエンタメ化するようなAVや、繁華街に立ち並ぶ性風俗店を、女性の権利の観点から考え、これらを問題として意識するようなことを私はしてこなかった。しかしながら、日本社会における性暴力の実態は大学の講義で学ぶことがなかった。そこに教諭や医師、自衛官や検察、その職業に関係なく性暴力をふるう加害者が存在すること。その数だけ被害経験やPTSDを抱えながら生きていて、子どもや性的マイノリティだけでなく、高齢者であっても性被害に遭うという現実があることを、私はSNSや報道される事件化されたケースから少しずつ学んでいった。そして、こうした被害に遭ったことを語ることや事件化のために告発することが、サバイバーにとって決して容易ではないことも今では知っている。だから、事件の経緯を知りたいという理由であっても「どうして付いて行ったりしたの?」と悪気なくサバイバーに尋ねることが、セカンドレイプと呼ばれる二次加害行為であることも理解している。

 そして大学で私が出会わなかったもう一つの、なかなか理解が追い付かないSNSで散見される言説がある。現在進行形の言説、それは「セックスワーク論」だ。これは、アカデミアの女性研究者たちもどうやら支持しているらしい。このセックスワーク論への批判はすでに他の記事で展開したので、ここではあまり重複させない。しかし、SNS上ではセックスワーク論を支持する人が、まるで「性売買サバイバーの声は聞かなくてよい」と考えているかのように性売買サバイバーへの厳しい反応を見せている現実が、これまで刑法の改正を先延ばしにすることで「サバイバーの声を不可視化してきた」家父長制の利害と一致しているのではという懸念もあり、私が読んできたものから性売買サバイバーの声を少しでも届けられたらと思い、この記事のために筆を執った。私が出会ったのは、『道一つ越えたら崖っぷち』(アジュマブックス、2022年)を著した性売買サバイバーのポムナル氏の言葉たちだった。(ここでいう性売買の売春の主体は、それを管理する業者を指す。女性のことではない)

 

【性売買サバイバーの体験談】

 いま、この記事を書くにあたって部分的に引用するためにポムナル氏のこの著書を手元に用意しているが、改めて読み直したわけではない。こちらはポムナル氏が管理性売買の世界を生き抜いてきた記録の断片が詰まっており、それは400Pを超える内容となっている。最初に読んでから2年、あるいはそれ以上経過したかも知れないが、思い返しながら、その複雑な背景や構造、個人の内面としての話を列挙的に伝えられたらと思う。

 まずポムナル氏には貧困という家庭の背景があったこと。中学校の教育もまともに受けることができなかったこと。そうした日常の中で、父親からの身体的虐待があったこと、バスの運転手からの性被害に遭ったこと、近所のお兄さん的存在との曖昧な関係から連絡が取れなくなったようなこと、工場で仲良くしていた友人が「夜のバイト」に誘ったことなど、管理性売買の世界に繋がる前に、様々な暴力を受けた背景が語られていた。

 

 夜の世界についての話は、私は知らないことが多かった。ポムナル氏の実体験が要約することで、その重要な部分が削がれることがあってはならないが、経緯を私なりに要約したい。管理性売買の直性の入り口となる最初のきっかけは、「カラオケからのアフター」みたいな形態だったようで、そこから済州島にも行くことなり、そののち「あそこに行ったらおしまい」と言われているようなガラス部屋という密集地域にも流れ着いた。そこからさらにコーヒーの配達員のような形態のものを経験したという話だった。およそこの間に、何店舗もの「移籍」を決して帳消しにできない借金とともに転々としていったのだそうだ。こうした生活から抜け出すのに20年もかかったということを、今でも講演で涙を流しながら語っておられると聞いている。

 こうした苦しい夜のおつとめの中では、通称バクダンと呼ばれる、ときにたばこの灰さえ混じったお酒のちゃんぽんを飲まなければならなかったこと、客から直接的に殴られるような暴力被害にあったこともあったそうだ。また慕ってくれるねえさんの家で鍋をしているだけで店長が勘繰り、その結果店長に感謝さえしていた姉さんが店を去っていったことなど、そうした夜の世界の厳しさがあった。他にも警察からの呼び出しのようなものがあったこと(これは公権力への上納金の話として私は理解)、日本の新宿と同じように、性風俗店での火災でそこにいる女性がなくなった事件があったこと、それがきっかけ大きな社会運動につながっていったこと、色んな経験談や出来事が綴られていた。

 

【経験の再解釈として】

 また同著で、著者が自分の経験を再解釈し、当時の内面世界を振り返るという視点があるのは、非常に勉強になると同時に、こうした過程は非常に苦しいものであったはずだと想像しながら読んだ。葛藤があるとも書かれている。それは、そこでときに暴言を吐かれることがあっても、自分はオーナーから一番気に入られているという考えが当時の自分にはあったという話や、性売買のことを家族にようやく打ち明けたときの家族の反応の話。他には性売買の世界から一度抜け出したあとに、またその世界に引き戻される経験の話などもあった。これはとても苦しく読んだ箇所だった。日ごろから美容サロンに資金投資するという金銭感覚や昼夜逆転の生活が、一般的な就労を継続することを難しくさせるのだそうだ。

 ポムナル氏は自活支援センターに繋がってからの工場勤務でも、同僚との会話で「ねえさん神~」というような受け答えをしてしまったことを気にして、もうその工場に行かなかったという話もあった。特に、支援センターに繋がっていると説明しているのに「おねえちゃんはまた騙されている」というような反応を見せる妹さんとのやり取りは読んでいてつらかった。ただその後も、ポムナル氏は妹に(夜の世界に入る前の)レイプの被害のことを打ち明けていて、その夜の記述があった。

 

「妹の目に涙が溜まり、何も言えずにうつむいた。私たちはその日、互いの痛みに寄り添い涙を流した。妹の涙から私は強い姉妹愛を感じた。堂々としていようと心に決めた。私の経験が私をむしばまないようにする唯一の方法は、暴力を暴力だと言い続けることだ」

(同著P399)

 

ポムナル氏は、今度は自身がアウトリーチ活動を続けて、ピアサポーターとして抜け出せずにいる少女たちに声をかけているのだという。20年間抜け出せなかったその世界から抜け出して、今も振り返るという作業を行っているそうだ。

 

「自助グループとムンチの力を得て、私は社会に向けて声をあげ始めた。性売買の搾取構造、女たちがそこに流れていく過程、性売買から抜け出すのを難しくさせるのはなんなのか、性売買から抜け出したあとの人生などについて、勇気を出して私の経験を話した。人々は私が話す経験に、泣いてくれ、励ましてくれた。私に同情したり、かわいそうだと言ったりする人たちはいなかった。私の勇気に拍手を送ってくれる人たちがいるということに、私がこの世に対して持っていた先入観が崩れていったりもした。(中略)

 もう私の経験を恥ずかしく思ったりはしなかった。すべてのことは自分が悪いのだと考えていた習慣もだんだんと消えていった。これらを可能としたのは、まさに自助グループとムンチの活動だった。どこででも話せなかった胸の痛い経験を一緒に分かち合うことで、私が生きてきた過去を再解釈できるようになった。(中略)

 経験の再解釈を続けている。ときに苦しくて涙が流れるが、私は少しずつ強くなっている」

(同著P390~391)

 

【女性の性をお金で買えるという構造の中で】

「性売買から抜け出したあと、店を転々としていた20年あまりの間、一度も聞いたことがない「セックスワーク論」と出会うことがあった。「売られていく恐怖」を感じてみたことがないから言える、理論だけに埋没している言葉だと思った。女性を消費することがあまりにも自然で根深い強固な構造において、労働という概念を現場の現実に適用するには無理がありすぎる。性を売る女性が主体的に生きていけるようにするというのであれば、多くの女性たちが性売買に流れていき、一度離れてもまた戻っていかざるをえない根本的な問題から解決されなければならないのではないだろうか」

(同著P374)

 

 これは私が何か説明するような余地のないくらい説得力のあるセックスワーク論への批判である。こうした性売買経験当事者の言葉から、社会での運動体であるラディカル・フェミニズムの本質が反「性売買構造」であると同時に脱「性搾取構造」であるようにも考えられる。韓国は、ショーケースとして有名だった性売買地域が今では廃墟となっているという朝日新聞の記事があった。理由は、法律の改正があり、買春者や性売買の斡旋から利益を得ることが違法になっただけではなく、土地を貸し出すことも規制の対象になったからだそうだ。また、国や自治体などの行政は、性売買の渦中にあった女性たちへの自立支援に必要な措置を講じるように定められたそう。こうした法の改正があったのが2004年のできごとだそうだ(※1)。こうした、社会での状況改善があったのは、ポムナル氏のような性売買経験の当事者らが声をあげ、活動を続けてこられたことの賜物に違いない。

 

「性を売る女という理由で顧客に殴られ、血を流していても、私には人権などというものはなかった。業種によって私が出会った顧客たちの挙動を振り返ってみたが、顧客たちが性売買の女性に接する態度は、基本的にみんな同じだった。私は長い間私が出会ってきた彼らの汚い行為は、私の個人的な経験だとばかり考えており、その暴力を一人だけで対処してきた。しかし、他の性売買経験当事者たちと語り合いながら、それは性売買の女性であれば出しても経験する暴力であったということを知ることになった。

 20年あまりの間の経験を通じて、私は女性の性を金で買う男、脆弱な環境に置かれている女性を斡旋するオーナーがいなかったら、性売買を減らすことができると信じている。韓国には性売買の店に通う男たちがあまりにも多いせいで、性を買わない男を特別な存在のように捉える雰囲気さえある。しかし、性を買わないということは人間として当然な行動である。今は私が見ていた性を買う男たちの醜悪な姿を一つ残らず告発し、世の中に示すことが私の目標でもある」

(同著P330)

 

【まとめにかえて】

 ここまで、活動家であるポムナル氏の著書からその言葉や語りを見てきた。私がこの記事をきちんとまとめようと思い立つ少し前に、SNS上でネット右翼らしきユーザーが、自分は忘れていないという言い方で、以前韓国にも性売買が当たり前にあったという話を、鬼の首をとったように投稿していた。これは、歴史認識として全然正しい見方ではない。韓国で性売買が密集する地域では、ナカイやマエキンなどの言葉が飛び交っていたらしい。これは、日本こそが支配下となった韓国に公娼制を持ち込んだ犯人だったという根深い背景がある。これは、韓国の経済を性売買依存させたことは、日本の責任であるともいえる。SNSで、先のネトウヨのような発信をすることは何重にも差別的で、日本が支配の歴史、その加害性に無自覚であり続けていることの現れでもある。

 私は、異性である女性を性愛の対象とするヘテロセクシュアルの男性で、だから周りにも同じ男性が多いことからホモソーシャルなやり取りを経験することがある。SNSでも書いてはいるが、そうしたホモソなやり取りの中に「一緒にオンナを買いに行こう」というものがある。そして、私は自分が独身だから、パートナーいるやつから、私が自ら「性風俗に行こう」と言い出すのを期待しているのかなと思われるようなやり取りの経験もあった。不貞や浮気の細かい定義はさておき、私が性風俗に男の知り合いを誘って一緒に行けば、それはただの「男同士のつきあい」となる。私は、このように第三者に伝えるための書き方をしてはいるが、私もホモソなやり取りの前ではにこにこしてやり過ごしてもいる。しかし、男たちが「いつでも買えるオンナ」の話をするとき、そこに女性たちの個別の人格への尊重はない。それが、男たちだけで話す空間だからこそ実感できる、男の付き合いという顔をした男尊女卑の正体だから。

 

 先日、東京大学の教授が企業から性接待を受けたことが収賄の罪で逮捕されたという事件報道の記事が流れてきた。違法な斡旋をする男性、キックバックを受け取るスカウトグループの摘発などを見かけるにつけても、管理性売買の本質は男たちが男たちのためにひねり出す人身取引であって、女性の自己決定の場であるとはとても思えない。商業的な取引を成立させるために、菓子折りを持参するのではなく、女性に性接待をさせる。そのために違法なスカウトや斡旋をする別の男性集団がいる。どこまでいっても、管理性売買の世界は、男性のための男性の取引のために、女性の性を介在させているだけのようにしか見えない。

 また、一度このように社会が管理性売買に経済依存してしまうと、そこから脱却するのは大変になるだろう。特にこのように、「性に寛容」などと嘯く陰で、性暴力が横行してきたような日本社会ではなおさらのこと。管理性売買の存在は、性差別、性支配そのものだ。日本が、女性の権利が当たり前に保障されるという、成熟した社会を目指すのであれば、家庭内虐待やデートDVなどが理由で管理性売買の世界に流れ着いてしまう少女たちを、韓国のように自立に繋げるような社会支援制度を設計すべきだ。

 

 そして、性産業や管理性売買の世界の話となると、どうしても「それは性暴力である」という認識にフィルターがかかってしまうように思う。これは、アカデミアで研究者がセックスワーク論を支持することの懸念の延長でもあるが、SNS上のセックスワーク論に閉塞感を感じるのは、「性暴力を性暴力だ」と言うことが憚られるような空気にさせられるから。私は、同じ性売買経験当事者が二つの立場に分かれて対立することは家父長制社会を利することにしかならないと思っている。

 だから、そうした議論をいったん脇に置いておけるなら、女性を取引の材料としてしかみなさないような管理性売買が当たり前の社会を、日本は脱却すべきだと考える。私個人は、2つのアウトリーチ活動をする団体に寄付をしているが、こうした支援活動は、本来は国が行うべきだと思う。今回、売春禁止法の改正が話題になっている中で、報告書の内容こそ吟味はまだできていないが、議論が後退しているという話を憂慮している。少しでも管理性売買の世界にからめとられる少女たちが減るようにという願いから、ポナムル氏の著書『道一つ越えたら崖っぷち』を紹介させていただいた。こうした管理性売買の世界の中で虐げられ、性搾取に遭ったという被害の声が、一般の性暴力被害の声と同様に扱われるような日本社会となることを切望する。

 

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<参考文献>

『道一つ越えたら崖っぷち』(ポムナル著、アジュマブックス、2022年)

 

朝日新聞有料記事(※1)

性搾取から離れ初めて得た安心の場 「たくさん食べ、眠る」女性たち:朝日新聞

https://digital.asahi.com/sp/articles/ASV8V2GQ3V8VUTFL011M.html?pn=5&unlock=1#continuehere

 

(注釈※2)

ムンチとは、韓国語で団結を意味する「性売買経験当事者ネットワーク」の名称。性売買から抜け出した女性たちが自活、自立をできるように包括的な支援を行っている。

セックスワーク論への批判

【問題提起】

 ここでは、SNSにおいて、反性搾取・反性売買の政治的立場であるラディカル・フェミニズムへのカウンターパートとして機能している「セックスワーク論」への疑問と批判を展開していく。なぜこれを考えたいのかというと、性売買サバイバーとして性産業内部での性搾取や性暴力、トラウマの再演につながるメカニズムや構造を語る当事者の声が、セックスワーク論に賛同する人たちからの圧力で黙らされようとしているように思われたから。このきっかけは、現在法務省の検討委員会で売春防止法の改正案の議論が、前進を含まないものであると批判の声が上がっているからだった。

 私が注目した刑事事件には脳性マヒの女性が「避妊のないプレイ」でもらえる手当のために妊娠してしまい、さらに誰にも相談できなかったことで孤独出産を経験することに。こうした経緯で乳児遺棄の責任が問われる事件があった。こうしたプロセスは、すべてを女性の責任として押しつけ、男性の暴力の責任が不問にされるという問題がある。セックスワーク論が、管理性売買の問題に意識的であるようには思えない。こうした性産業の中に厳然と横たわる搾取の構造を明らかにすることは、労働環境改善の課題を見つけることだと私があちらの立場なら考えるところだが、それはどうやらセックスワーク論の方向性ではないらしい。

 ただしかし、私はここでセックスワーク論を正しく理解したり、対立を激化させたりしたいわけではない。それでも、SNSの議論を見て、「どちらの議論が正しいかわからない」と迷っている方に、少しでも反性搾取の立場をとるラディカル・フェミニズムを理解してもらうという目的で、SNSで散見されるセックスワーク論側が主張する言説を吟味したい。あまり多くの論点を吟味しても大変なので、端的に一番よく見かける言説を批判のターゲットにしたい。それらは以下の通り。

 ① 性的交渉にかかわることが労働として認められてほしい

 ② 合法化ではなくて非犯罪化が目指すべき

 ③ それを主体的に選択している女性たちがいる(→性の自己決定だという主張)

 ④ 犯罪化し、刑事責任として取り締まることは地下化させ、より危険になる

 私はセックスワーク論を支持しないので、もしかしたら本質的な部分を取りこぼしているかも知れないが、宣伝を手伝いたいわけではないので、以上の点について批判していきたい。

 

【命題①と②について】

 命題①と②は、二つとも「雇用契約化(法制化)して労働基準法で保護されるべきか」という問いと直結するという点で、本質的に同じ問題といえる。それで、セックスワーク論が「非犯罪化が正解」と言っているように、私の理解ではセックスワーク論が目指すものは、社会保障(有給利用や失業保険)を受けられるよになることではないと理解している。ただし、こうした話は個人事業主であるUber配達員や執筆を生業とするフリーランスの方も基本的には同じではあるが、セックスワーク論はその見かけが「労働者運動」に見えるだけに、非犯罪化が正解と主張する考え方とでは内部で矛盾が生じているとしか思えない。「避妊しないプレイで手当」という店舗があるような管理性売買の世界で、サバイバーを敵視するセックスワーク論が安全配慮義務などの労働上の概念に、いつ辿りつけるのかは甚だ疑問だが。

 

【性の自己決定という欺瞞】

 命題3を吟味する前に。セックスワーク論において、私が賛同できる主張は、実はたった一つだけある。それは、そこにいる女性への差別や偏見である。これは、「売女(バイタ)」などという侮辱言葉があることからも、家父長制に従前から横たわるスタンダードとして私は理解している。貞操観念が強く複数の男性と性交渉することは女性にとってスティグマ化される。そういう社会だから、そういう女性たちを男性は蔑むが、一方で家父長制はビジネスのために「性行為をとても好み、積極的に参加する女性像」を巧みに利用する。AVがまさにそうだが、この点についてセックスワーク論が強調する個人の内面ではなく、もう少し暴力の構造を考えていきたいので、ラディカル・フェミニズムを牽引してきたキャサリン・マッキノンのセックスワーク論のいう「性の自己決定」への批判を、少し長いが引用しながらみてみたい。

 

 「性売買(※1)の中にいる女性は自ら望んでそこにいるのだという主張は、圧倒的に嘘です。この文脈で同意という言葉を用いることは、言葉の意味内容を変えてしまうことにつながります。

 セックスのために使用されている人々のほとんどは女性です。セックスワークについて語る人々は、どうしてそうであるのかについて語ろうとしません。もしそれが自由の大いなる形態であると言うなら、どうしてほとんどの男性はそれをしないのでしょうか?

 セックスワーク論が定義する「同意」とは、女性の選択の99%を奪ってから「彼女の選択」として残った1%に名づけられたものです。これは「選択」が本来意味するものではありません。それは選択を排除する不平等の別名です。売買春の中にいるほとんどの女性は、そこから出ることができるものなら出たいと言っています。しかしそうすることができないという事実は、それが仕事ではなく、奴隷制の一形態であることを示しています。彼女らが選ぶことのできるほかの選択肢が現実にないとすれば、性売買は選択ではないのです。」

(引用先『キャサリン・マッキノンと語る ポルノグラフィと売買春』(※2ポルノ・買春問題研究会、不磨書房、2003)P49とP52より)

 

 セックスワーク論の考え方に近い人には奴隷制という言葉は強すぎる表現に見えるかも知れないが、世界レベルで性産業の規模を考えるとき、買春宿で児童買春を管理する実態も残念ながらあるようだ。『性的人身取引 現代奴隷制というビジネスの内側』(シドハース・カーラ、明石書店、2022年)では、西洋で実際にそうした買春宿に警察が踏み込んだ際に、保護されることを泣いて嫌がった少女の話があった。マフィアから、家族や親族を殺すと脅されているからだ。こうした人身取引の被害者である少女たちが、仮に成人して管理性売買に関わりつづけたとしても、数ある選択肢の中から自由意思で性売買を選択したことにはならない。

 以上のように私はマッキノンの批判に賛同するし、だからこそセックスワーク論のいう「性の自己決定」は性搾取や人身取引の実態を隠蔽するためのレトリックでしかないと思う。これは、フェミニズムのスローガンである「個人的なことは政治的なこと」が捻じ曲げられたやり方だ。「私はみずからこの道を選んだ」と女性が自己責任的に内面で思い込んでいたとしても、そうした状況に囲い込むような巧妙な家父長社会の暴力構造について考えなくてよいことにはならない。

 

【地下化して危険になるというレトリック】

 私は、以前に世界規模での性的人身取引の実態がどうであるかを、シドハース・カーラ氏の著書で読んで知り、その酷さに愕然とした。ラディカル・フェミニズムのラディカル(cf. 原理主義:fundamentalism)には急進的とか過激というような意味もあるようですが、私はこれを「もっと根本的に考えよう」とする試みだと考えている。それで、この地下化の論理の批判に応用したい。

 ここからはあくまでもSNSという閉鎖的な言論空間での反応の話にはなりますが、私が「地上と地下の区別って?」「地下化して危険になるとは?」という疑問について、回答のような反応があった。これについて揚げ足を取りたいわけではないが、私が「児童買春禁止法については地下化して危険になるなんて話は起きないのに」と投稿していたら、「児童買春の取引現場が東南アジアに移った。だから地下化が危険というのは全く荒唐無稽という話ではない」と、およそこのような回答で、丁寧な反応であったといえる。

 しかし、私にとってこれは逆に警鐘がなる話でしかない。根本的に考えて、取引(可視化のためにビジネス肯定ないいかにしておく)の現場が、反社に限定されたりや他国に移ることを懸念して「性売買が地下化するのはよくない」という話が本音なのだとしたら、それは「取引現場が反社や他国になるくらいなら、もっと日本の業者に金が流れるようにしよう」と言っていることにはならないか。

 

 まだ批判点はある。私はセックスワーク論の方向性をおそらく正しく理解はしていないだろうが、「地下化してより危険になる」という言い方をするためには、「地上は安全」という前提がなければいけないが、「避妊なしのプレイで手当」という性風俗店があるだけでなく、盗撮の被害なども実際にはあるそうだ。また客に女性が刺されるという傷害事件だけではなくて、不同意性交事件として性風俗店の利用客が逮捕される事件もある。違法であるはずの本番が、店舗側の自主規制でどこまで徹底されているのかはわからない。なので、セックスワーク論側が「地上の方が安全」というためには、現場での安全配慮を徹底するような運動でなくてはならないはずなのに、現場で被害にあったという声についてはまるで「不都合なもの」として扱い、その声を「黙らせている」ように見えるのだ。これははっきり矛盾だと言える。

 セックスワーク論という運動体があるのだとして、それが他の労働と同じように「労働環境の改善」を求めるものであるならば、どうして「私の場合はこんなひどい目にあった」という経験を語る声を黙らせようとするのか。そうした、性暴力や性搾取の被害の声に耳を傾けながら労働環境の改善をすることが難しいのはなぜなのか。なぜ、セックスワーク論は性売買サバイバーの声に対して、強く否定的な反応をしなければならないのか。それが、労働環境改善運動のためにどうしても必要なのか。これらが、私がSNSでの二項対立的な議論を見ていて思う疑問だ。

 そして、だからこそ思うがセックスワーク論はやはり「現場の課題や改善点」を見つけようとはしていない。固定化されたいくつかのセックスワーク論の持論をリフレインしているだけ。本当に環境改善を目指しているなら、課題発見のためにひどい経験をした人から話を聞くべきなのに、セックスワーク論でこのような態度を見せる人はほとんど見かけない。であれば、いったい誰からの聞き取りで「課題と改善策」を決定しているのだろうか。セックスワーカーと名乗る人以外からの聞き取りはしないというのであれば、それはそもそも性売買サバイバーに対して「排除的(exclusive)」な態度であるとは言えないだろうか。管理性売買の世界の中にいて、性搾取や性暴力の被害にあったという声は排除しようとするのに、どうしてその現場の環境を改善することができるというのだろうか。私のこうした疑問は尽きない。

 

【まとめ】

 最後にもう一つだけ言及したい。個別に名指しすることは控えるが、ある性売買サバイバーに対して、「あなたはまた性産業に戻りますか?」「そうでないならセックスワーク論は必要ありません」というアカデミアにいる研究者が回答しているのを、私はたまたまSNSで目にしました。こうした反応が、性暴力サバイバーへの配慮に欠ける対応であるのは言うまでもない。そして思うに、他の労働問題であれば、退職済みの人からの聞き取りでも労働環境における課題は浮き彫りになると思うのに、この研究者の態度からもすでに現場を去った者や管理性売買の中で性暴力の被害にあったという人の声はセックスワーク論には必要ないと言っているのだ。

 こうした観察や考察の結果、私に結論付けられることは、やはりセックスワーク論というのは、同意のない性行為が犯罪となった日本社会において、それでも「男性がお金で女性の性を一方的に買える」というこの権力構造を維持したいというのが本音なのだろうと思う。建前としては、命題として挙げたように「労働者運動」をという大義はあるのだろうが、それが性売買サバイバーを黙らせようとする議論に終始してしまうような事態からも管理性売買をなくさない、つまり「管理性売買を守る」ことが第一義で、労働環境改善という目標はあくまでも不随的な扱いになるのだろう。これは私が観察して推測できるのはそういう本音の所在でした。

 私がこのようにセックスワーク論に批判的な態度であるのは、このマッキノンの講演録からはっきり見て取れるラディカル・フェミニズムの政治スタンスがわかる部分に感銘を受けたから。引用で終わらせるのはいかにも権威主義に見えるかも知れないが、現代のアウトリーチ活動などに繋がる潮流をはっきり見て取れるので、結びに代えて引用したい。以下はセックスワーク論に協力したいか?という問いへのマッキノンからの回答内容。

 

 「いえ、私はしません。私はそうしようとする人々を邪魔しませんが、私自身はしません。あなたがおっしゃったことをしようとする人々はたくさんいるし、そのために必要な資金も豊富にあります。けれども、私が知っているかぎりでは、売買春の中の女性にとって売春がそれほど困難ではないものにしようとしている人々は、その中の女性がそこから抜け出すのを助けるための努力をしようとはしていません。これらの人々は、結果的に、女性がそこにとどまるのをより容易にしているのです。売買春にとどまるのを容易にすることから利益を得るのは主に、これらの女性を使用している男たち[性売買業者と買春者]です」(先述の同著、P63より)

 

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<参考文献>

『キャサリン・マッキノンと語る ポルノグラフィと売買春』(ポルノ・買春問題研究会、不磨書房、2003)

『性的人身取引 現代奴隷制というビジネスの内側』(シドハース・カーラ、明石書店、2022年)

 

(注釈)

※1 著書での「性売買」はprostitutionの訳語で、この場合の「売る主体」はpimpsなど管理性売買の業者のことを指す。

伊藤詩織さんの控訴審裁判傍聴記

 2021年、9月21日。本日私は伊藤詩織さん(被控訴人)と山口敬之氏(控訴人)の控訴審を傍聴するために東京裁判所へ足を運びました。私は午前10時過ぎに東京裁判所に到着し、傍聴券の抽選の列に並んだ。そこでは顔を見知っている有名なジャーナリストの顔もあればツイッター上で知り合ったユーザーさんの顔もあった。私に声をかけてくれた人は残念ながら外れていたが、私は偶然にも傍聴券が当たり傍聴を許された。本日11時から予定されていたのは伊藤氏と山口氏による意見陳述で、この両者の陳述内容を書面に添付することを判事は両人に確認し、意見陳述後に裁判はそのまま結審となった。判決の言い渡しは来年2022年、1月25日。
 私は音声記録なども行っていないので、今日傍聴した本控訴審の内容を忘れないように記録したい。記載内容については誤りがないように努めるが、記憶に頼る部分もあるのであくまでも裁判の様子がどのようなものであったかが伝わるように記したいと思う。また裁判の手続き上の話については当然法律の専門家ほど詳しくはないので、私がはっきりしない表現を用いている箇所などは、興味があればぜひ各々調べていただけたら助かります。

 裁判上の手続きとしては、山口氏側からはいくつかの資料の提出があったようである。判事が確認を行っていた。一方で、伊藤氏側からも(聞き間違いがなければ)補充意見書の提出があったようでこれも確認が行われた。ここで確認と表現しているのは判事が両人に「〇〇を提出されるということでよいでしょうか?」というだけの確認で、中身の確認のことではない。また「個別の公表」を一覧表にしました、と言う判事。この内容に異論がないことも両人に確認していた。これはおそらく伊藤詩織氏の著書『Black Box』において、山口敬之氏の実名表記の箇所や、彼が行った行為についての個別の記載をまとめた一覧表のことだろうと思われる。この記載箇所が名誉棄損又はプライバシー権利の侵害に当たるかどうかも本控訴審の重大な争点であるため、この箇所を確認することは審理の核心の部分ともいえる。

 裁判の手続き上の話はこれくらいしかなかった。口頭弁論が始まる前にメディアが入っておそらく伊藤詩織さん側を撮影したのだと思われるが、このとき私は緊張していたこともあってトイレにいたので、どのように法廷の様子が撮影されたのかは知らない。控訴審では、あとは専ら弁論に時間が割かれ、意見陳述にかけた時間は伊藤氏のそれよりも山口氏の方が長かった。山口氏の意見陳述ははっきり申し上げて無駄に長かった。ここからはその意見陳述の内容とその時の二人の様子を記述していきたい。


 意見陳述は伊藤詩織氏、山口氏の順番で行われた。伊藤氏は自分の席で起立をして意見陳述を始めた。その内容はおよそ、自分がこの長い戦いのために20代の貴重な時間、6年という歳月を失ったこと、また山口氏から裁判手続き上の資料や書面の提出がある度にその内容が自分にとって加害のように感じられたことなどが語られた。また、伊藤詩織さんに対して、侮辱的な書き方を行い戒告処分を受けた北口弁護士にも言及があった。そこではやはり自分のことが「うそつき」呼ばわりされていたと。

 他にも当時住んでいたマンションも私の収入では支払えないようなものであるから、オーナーと私が親しい関係であったなどとの主張がなされたが、実際にはマンションを改装してシェアハウスとして利用されていた所に住んでいたのであって、私には支払いができる物件であったこと。被害者のステレオタイプから遠く、真の被害者ではないなどと言われ、そして被害者はそのように笑わないなどとも言われ、二次加害を受けたこと。シャワーを浴びずに退室したことにおいても、相手の男性が先に利用してたシャワーの利用を女性が躊躇うのは感覚的にそれほどおかしいことではないなどの反論があったこと。退室後の髪型が簡単に作れるものではないから、同意がなかったことの証明にはならないなどの主張もあったことなど。それらの新たな主張書面が提出される度に私にはそれらが二次加害を受けているように感じられた。(他にも述べられていた内容はあったが、私が自分でとったメモとその記憶から掘り起こせた意見陳述の内容は大体以上になります。意見陳述についてはまた他の媒体から全文が公表されるのではないかと思うので、公表された時点で加筆・修正を行い全文のリンク(※)をここにも貼りたいと思う。2021/09/21)

 以上のような内容を伊藤氏は述べられた。陳述の冒頭部では声を詰まらせ泣いていることが窺える場面もあった。意見陳述がどのようにまとめられたのか、ちょっとすでに本日のできごとでありながら記憶がおぼろげとなってきているが、伊藤詩織さんが最後に「このように丁寧に審理していただき、本当にありがとうございます」と判事らに深々と頭を下げていたのはとても印象的だった。

 

 伊藤氏の意見陳述に続いて、山口氏も自分の意見を述べた。公平性を期すためにはここも詳述しなければならないのだが、今日は朝も早く今はもう午後の22時で私も疲れてきたのでここらで記事のまとめにしようと思います。山口氏の意見陳述は確かに伊藤氏のものより長かった。それは居酒屋のトイレタンクが無かった事から始まって、膝の脱臼の話に至るまでおおよそ伊藤さんは嘘をついているという事だけを吐き捨てた内容だったと思う。裁判の過程で大事なのはその主張内容をきちんと立証することであるはずなのに、彼の意見陳述は個人的な決めつけでしかなく、さらには相手を罵倒しているとも取れるような内容であると感じた。また私などは性暴力の被害者を「うそつき呼ばわり」することは典型的なセカンドレイプであると認識しているし、社会でもそういった特に女性に対して多い二次加害への理解が広まることを期待している。そして、そのように考えるからこそ意見陳述を振り返って以下のように思う。山口氏は、新たに新書面が提出される度にそれが自分にとっての加害であるように感じたと意見を述べた伊藤氏に対して、更に過剰に二次加害を加えたのだと。

 

 あまり、伊藤氏に寄りすぎても信憑性の低い記事になってしまうだろうか。私はそうは思わない。裁判をやりますということに控訴人、被控訴人お互いに合意がある(つまり和解による解決はしないという意思がある)以上、これは必要な経費を投じ十分な準備期間に最善を尽くして勝訴を勝ちとるための戦いと考えることができる。もちろん手札には強いカード(証拠など)も欲しい。裁判がある種のそういったゲームであると捉えた時に、山口氏の言動は果たして裁判で有利に働くだろうか? 彼は、伊藤氏に対して他にも「居酒屋で裸足で歩き回っていた」、「あなたは悪酔いしただけのただの酔っ払いだった」のような発言も行っていた。だから、これらの話が一体何だというのだろう。これはだから同意がありましたよ、と証明に繋がるような話を一切しておらず、むしろ相手を罵っているようにも感じられる。勿論山口氏は、伊藤氏の記憶のない部分の話を自分は覚えているとアピールすることで、裁判官に自分の発言の信憑性の高さを訴えているのだろう。

 意見陳述で山口氏が強調していたワードが二つある。それは「なぜ!~?」と「ありもしない~」だった。彼はこの二つの表現を大きな声で強調しながら、伊藤氏に対するうそつき呼ばわりをさらに続け、だから結果として「自分は社会的に殺された」と述べた。つまり、自分こそが被害者なのだと。しかし、裁判を傍聴していた私は個人的に思った。行為がお互いにあった事を認めた上で、女性が性暴力の被害を訴えている裁判において「相手をうそつき呼ばわりすることしかできない」被告というのが勝てるわけないだろうと。少なくとも「合意があったのだろう」と第三者が受け取れるような客観的証拠、または証言などの提出ができないのでは裁判を勝つのは相当厳しいと個人的には思う。

 証言というのはたとえば、あの夜女性はこういう発言をしていたなどの自分の記憶を自白するのでも良いと思う。その言動を受けて私は同意があるのだと認識したなど主張すればよい。しかし、山口氏が一審で証言したのは伊藤氏の「どうして私はここにいるのですか?」という発言だった。これを自白しておいて、控訴審で新しい証拠も特に提出できず、最後の口頭弁論においても相手をうそつき呼ばわりすることしかできないのであれば、その一連の流れや山口氏の今回の言動は原審を引き継いで審理を行っている裁判官にとって果たしてのように映ったのだろうかということだ。そこも非常に重要だと思う。もちろん彼の主張の変遷などによる発言の信憑性の低さなどもあるが。

 山口氏は他にも意見陳述で「自分はドキュメンタリー制作で監督を任されたのは17年目だった」というようなことも言っていた。だから伊藤氏の注目され方などが売名行為的であるという事を言いたいような発言だった。これもはっきり言って同意の証明とは無縁で、むしろ山口氏にあまり才能がなかったのではという感想すら抱かせる。山口氏の嘘つき呼ばわりラッシュのメモをとっていた私の手は、ある時点で止まった。それまで最後尾の私の傍聴席からは見えなかった伊藤詩織さんの顔が初めて見えたからだ。

 伊藤氏の視線は相手の鋭い眼光を見据えるものであった。山口氏もまた姿勢を屈めて体を伊藤氏の方へ向けている。彼の様子はその語気の強さからも、彼女を睨みつけているのだろうと私に想像させる。しかし、視線までは後ろ姿からはっきり確認できない。伊藤氏もまたはっきりと身を乗り出しているのが見える。彼女の頬が赤くなっているのもマスクの上からでも見て取れる。この6年を超える長い年月の苦しい闘いをしてきた相手は最終盤においてもなお「お前はうそつきだ」の一言を繰り返すような反撃しかしてこないのだから、その悔しさなどは私が想像できるようなものでは到底ないだろう。私の胸が潰れそうになったのは、意見陳述の冒頭部で伊藤詩織さんが声を詰まらせながらも陳述書を読み上げようとしている場面と、この両者の視線がお互いを捉えて決して離さない場面だった。ただし、である。伊藤詩織さんの方が山口氏の方を強く睨み返していたとは私には結論付けられない。そこには本当に複雑で、辛い、悔しいなどの色々な感情があると思うからだ。この時の様子は、法廷画家によって裁判の様子を絵で伝えるための象徴的な場面として選ばれたようだった。さきほどネットニュースの報道で確認した。


 最後に、伊藤詩織さんが述べた言葉を、その結びの部分をそのまま引用したい。

「事件直後、被害届を出そうとした私に対し、捜査員が「君の人生が水の泡になるからやめなさい」と言いました。どんな事件でも「被害者に沈黙させる方が、被害者のために良いのだ」とされる社会の仕組みの下では、これからも誰かを長期間苦しめてしまうでしょう。被害者が司法できちんと守られること、そしてこれ以上「真の被害者」という勝手なステレオタイプによって、誰かが貶められるような出来事が起きないよう願ってます」 (※)

 第一回目の口頭弁論における意見陳述をもって本件は結審した。控訴審の判決が言い渡されるのは令和4年、1月25日。伊藤氏は一審からの主張に変更も変遷も一切なく、その内容は一貫している。さて、一審から控訴審に至るまでの本件において、嘘をついているのはあなたは誰だと思いますか?

 

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※【追記】2021/09/23

 佐藤慧氏による伊藤詩織氏の意見陳述の全文がアップされていましたので、そのリンクをここに張らせていただきます。私が記憶を頼りに書いた伊藤氏の意見陳述の概要は、実際の陳述内容とは異なる部分があるものの、ニュアンスが大きく違うということはないと思いましたので、上記の私の記事は内容をそのままに留めようと思います。ただ是非、伊藤詩織氏の言葉によるその強い想い、願いをこちらから確認していただけたらと思います。

d4p.world

 

敵はコロナにあらず

 僕は、感染したら死ぬ可能性がある、と考えながら利用者さんのサービスに行っています。利用者さんが、日々の生活で困らないのであれば正直明日からでも自宅に引きこもりたい。事業所の都合が最優先、そう利用者さんや親御さんにも通知していますが、サービスの依頼は逆に増えています。他の事業所が来られなくなった、通所を休ませるなどなど。

 時々自分の周りの人間が大切な人を失って悲しんでいる姿を想像して、胸が苦しくなります。だから、補償をしぶる政府には怒りしかありません。

Corona or die? said JP government.

働きに出ればコロナに罹る、しかし働かなければ生活できなくなってしまう。いや、それどっちも死ぬやんけっていう状況です。

 まともな人間ほど、不安な状況下で一筋の光が差し込むと、それに飛びついてしまう事はある思います。緊急事態条項は本当に危険です。内閣が、国会をすっ飛ばして法律作れる、という条文があるからです。公文書もまともに管理できない連中なのに。これ以上、安倍政権に好き放題をさせてはいけない。
 あいつらは国民の命など、これっぽっちも気にしていない。赤木さんの自殺の件でも再調査をしないという結論を出しています。野党も赤木夫人もたかるハエくらいにしか思っていないから。一人一人の命の尊さを考えられるリーダーであれば、この非常事態に星野源とのコラボ動画など公開できるはずがない。国民が毎日どんな気持ちで過ごしているか、それを想像する力が安倍晋三には決定的に欠落している。国の首相としての資質、国会議員としての資格、彼はそのどちらも有していない。一刻も早く安倍政権という名の悪夢が終息することを祈ってやみません。

感染者ゼロ運動

 2020/04/07

                感染者ゼロ運動

 現在、弊社においてもコロナウィルス感染者・死者増加の重大性を受け止め、弊社独自の緊急事態宣言に代えて「感染者ゼロ運動」を実施したいと思います。この運動を展開するに当たって、以下のことを大前提とさせていただきます。

① 管理者・小谷や他のヘルパーは濃厚接触者である。
② 現場に入るヘルパーは「ご利用者にうつさない、ご利用者からうつされない」
③ 優先順位を重度訪問介護>居宅介護>移動支援の順につける

以上を踏まえて、今後の感染者ゼロ運動を具体的にどのように行っていくかを考えます。

 まず①を前提にした根拠ですが、そもそも私は管理者としておよそこの1年間半、一日も休日を過ごしたことがありません。そして、毎日サービスを行うために電車に乗っております。これは、いつか自分がコロナの蔓延している車両に乗り込む可能性があるという事です。他のヘルパーであっても同様です。その意味において「私は絶対に感染しない」ということを約束することが極めて難しいのです。ですから、弊社のヘルパーは日常的に「自分が濃厚接触者である」ことを前提とし、利用者に感染させないための努力を怠ることなく、サービスを行うように心がけています。
 二つ目の前提も同じ理由です。感染者ゼロ運動と大げさに言っても個人でできることは、手洗いやうがいの励行、サービス時のマスク着用や人に近づくこと避けるなど一見地味なことです。しかし、弊社ではヘルパーにこうした個人でできる感染症対策を徹底的に行うよう指導をしております。

 また、自覚症状の出た者につきましては、その時点で自己申告をしてもらい、自宅療養を行ってもらうという方針を採用しております。前回もお伝えしたように、もしもコロナウィルス感染の自覚症状のある者が出た場合には、代表の私も含めて、サービスを予定していたとしても、こちらからキャンセルさせていただきます。この点、充分にご理解いただければと思います。また、どうしてもサービスに来てもらえないと生活が立ち行かないという方につきましては、引き続きサービス時間を制限したり、他のヘルパーに代わってもらったり、など柔軟に対応させていただきますので、ご相談させて下さい。現在最も重要なことは「死者を出さないこと」です。そして死者を出さないために必要な事は「感染者を増やさないこと」です。この事を従業員にも、ご利用者のご家庭でも充分に理解していただいた上で、今後も良好な関係性を維持し、継続的な支援を行っていけたらと思います。

 説明が長くなりましたが、感染者ゼロ運動の一環として、キャリーラブ・ホームヘルパーズではすでに、ご利用者の理解と同意を得た上で、「平常であれば毎週のサービスを隔週にしてもらう」や、「新しいヘルパーが登録してもらった場合には、同行研修に積極的に応じてもらう」などの対応を取ってもらっています。一人のヘルパーが行うサービス量が減れば、そのヘルパーは感染のリスクが減らせます。加えて、複数のヘルパーが入れる支援体制が整っていれば、仮に一人体調不良の者が出ても、他のヘルパーが入れなくなった分のサービスをカバーすることができます。

 一部の現場では「どうしても小谷さんがいい」との声があります。これはヘルパー冥利ですが、現在の状況においてその希望の全てに応じることは最善の策ではありません。むしろ、私個人が疲弊し、免疫力が低下し、その際コロナウィルス感染症を「発症してしまう」、これは最悪の事態です。このコロナウィルスという、すでに日本でも自由に徘徊している非常に無慈悲な殺人鬼ですが、海外では10代の若者をも殺しています。ですので、万が一わたしが感染した場合、私が死なずに無事回復するという保証はどこにもありません。また無症状者よりも、有症状者の方が5~6倍の感染力を発揮するとの報告も読みました。ですので、わたしを初め他のヘルパーであっても誰一人として感染させるわけにはいきません。

 以上を踏まえて、感染者ゼロ運動では
・減らしても差し支えないサービスについては、了解・同意を得た上で減らす
・リスク分散のため、無理のない範囲で新人の同行研修を行う
(※新人の同行研修自体にリスクがあると考える場合には他の方法を検討する)

を基本方針としたいと考えます。また私自身も、スケジュールが緩やかになれば、現場への移動は電車ではなく自転車で行ければと考えています。また個人的な見解として、4月いっぱいは感染者数・死者数もともに増加の一途を辿ると考えています。なぜならば、ついこの間までオリンピック祭りのことで頭いっぱいだった政府と東京都は、まるで対応が後手後手だからです。現にいま、小さな医療クリニックでも「症状のある者の受診の拒否」が始まっており、これは医療崩壊の始まりです。さらに重要な点としては「肺炎で亡くなった方へのCT検査やPCR検査をほとんど行っていない」という事実が明らかになったことから、毎日報道されている死者数がすでに補正がかかった数であり、実際のコロナによる死者数とは異なっている可能性が高い事が判明しています。
 加えて、最近ではニューヨークでの事態の悪化が明らかになったこともあり、わたしはこの感染症が悪魔的な恐さをそなえたものだと認識するようになりました。わたしがもしも感染した時に、症状を改善させる薬があるか、受診はできるか、あるいは治療は行ってもらえるか。そういった一連の保証が、いまの東京には一切ありません。正確な情報もなければ充分な医療体制もないのです。

 わたしは、高齢者施設でノロウィルスが発生し、ベテランのヘルパーが感染拡大を止められないどころか、本人も罹ってしまい仕事を休む(死者はいなかった)という現場を経験しています。その経験から言っても、今回の事態は「武漢が封鎖」されたときから大変な事だったのです。政府がお祭り気分だったものを急に切り替えられないのですから、国民の意識が追い付かないのは無理もありません。ですが、弊社としては「死者を増やさない」ために「感染者ゼロ運動」を打ち出そうと考えました。海外で起きている医療現場における「命の選別」、これを私は日本で見たくありません。
 感染者ゼロ運動が、日本の医療崩壊を止めることに少しでも役立ち、助かるべき命がきちんと救われればと思います。そのため、スタッフ一同、日頃から行える最大限の努力をしてまいります。

キャリーラブ・ホームヘルパーズ  管理者 小谷周平
〒160-0023  新宿区西新宿8-4-14 MI西新宿303
https://carry-love.com

ライブどうしよう

 6月にライブを予定してまして、自分の事業だけでもあーどないしょ、とか思ってるんですが、ライブは予定通りやりたい気持ちです。集客は積極的にはやらず、ツイッターとFBでライブ中継しよかなとか考えてます。ライブを見に来たい人には少し条件をつけるつもりで、まぁだったらキャス前提でやりゃええんだが、とか思ったり。時期と状況に合わせたイベントにしたいです。ツイッターで見かけたレイヴ?動画、三人完全防護服で、1人がDJやっててかっこよかったな。
 こたにはロック小僧なので、いつでも反体制的です。もちろん、共産党やれいわが与党になっても批判します。批判とは、評価の裏返しという側面が確かにあって。ベタ褒めって、赤ちゃんに無条件でやさしい言葉をかけるのに似た所あって。それは悪いことじゃないんですが、まあ在学中に随分ひねくれて、卒業後にねじ切れて、みたいなそんな感じです。なので好きな映画監督とかも素直に褒めたくはないのです。

 病院が受け入れを止めるような医療崩壊は始まってるようで、これから緊急事態宣言や東京封鎖がわたしたちに立ちはだかります。その時、自分は正しく動けるだろうか、と自問自答する。情報の有無は生死を左右するけど、東京に住んでて、利用者さんもいるから自分は逃げられない。コロナを日本に蔓延させた政府の責任は重大だけど、もう今はそんな事言ってられないくらいの状況です。
 さいわいなのは、自分が1人暮らしだということ。自分が恋人とかに感染させて死なせることはない。救いですね。介護事業やってるから、連携事業所の看護師さんが陽性で、って今日報告のための電話があったんですよね。これはつまり、ニュースの報道よりも先に、すぐ向こう側から陽性の通知が来るフェーズなわけです。バイオ・ハザードを産んだ国は、現実の感染症に全く対応できずにバイオ・ハザードです。

 フランスの日本料理店で、外壁にコロナと落書きされる嫌がらせがあったそう。これを見たフランス人はSNSで、みんなこの店に行ってあげような!と拡散したんだそう。あったかいじゃない。愛があるじゃないか。安倍政権、頭悪いのは分かりきったことだけど、根本的に愛がないよ。想像力もないよ。ジョン・レノン聴けよ。忌野清志郎聴けよ。

 6月末、東京でコロナが収束に折り返してるか分からないですが、意義のあるイベントにしたいですね。たとえ、無観客だろうが。そういうギタリストにこたにはなりたひ。

日本の情勢

 どうも。ツイッターでは、志村けんの死に触れつつ、フェミニストとしてセクハラのノリは別問題として言及したこたにです。前回記事を更新したら、ブログのアクセス数まとまった数伸びてました。twitterの方は毎日かなりうるさめですが、もしよかったら

こたに・ギタリスト@Schuhei_K

↑もフォローいただければさいわいです。フォロバ率は高いです。

 さて、今日は区から支給されたアルコールポンプとマスクを受け取りに区役所に行ってきました。マスクは中国製で、中国には謝謝の気持ちでいっぱいです。東京は、封鎖(ロックダウン)がいよいよ現実的な話になってきました。永寿総合病院での集団感染は素人的に見ても、医療崩壊です。知り合いに聞いたら、慶應大学病院と同じグループ系列だそうで、慶應での院内感染はそのしわ寄せなんだとか。

 他国の状況として、ニューヨークは酷いようですね。ニューヨークに限らず、イタリア、スペインをはじめ各国はそれぞに大変な様子。ドイツだけは検査数が飛び抜けていて、致死率も低く、医療体制に余裕があるようで、他国の感染者の治療の受け入れも行なっているそうです。スイスでは、検査での陽性率が20%らしく、まだ高いからもっと検査しようと言っているよう。日本は陽性率80%。検査数は抑制する!を主張してた橋下徹は結局、受診したとかなんとか。

 僕は相変わらず、現政権の後手後手対応、ポエム記者会見にはいつもの怒りを覚えます。赤木夫人の提訴に対しても、再調査をしないという安倍、麻生の姿勢(署名を集めるサイトでの再調査を支援する署名数は20万件を達成したそう)。心底クズ野郎だと思います。先週の国会、共産党議員の田村智子さんの質疑の場面で、田村氏は赤木さんの自殺の件に触れ、声を震わせながら何の反省も見られない安倍首相を、安倍の抱える桜を見る会の問題などにも触れつつ

「政治を壊してるんですよ!」

と強く批判。

これは、YouTubeでも確認できる場面ですが、本当に辛い。この本気の田村議員に対して、安倍は時計を指で指し

「時間、時間だよ」と。

田村議員が質疑の場を離れるのを、笑って見ているのだ。田村議員の怒りや悔しさは痛いほど伝わってきます。

 元々社会問題には興味がありましたが、ツイッターでフォローしている人たちの影響で国会での審議にも直接目を向けるようになってまだ半年くらい。そんなわたしが元々応援していたの政党はれいわ新撰組です。障害者議員を国会に送り込んだ山本太郎の手腕、熱意は尊敬に値する。その一方で、共産党の国民視点の対案は非常に素晴らしい。選挙ポスターにもあるようにジェンダー平等も訴えている(これに関しては安倍ちゃんも同意した)。田村議員は、たしか2013年くらいから、インバウンドを増やすなら感染症対策費用も増やすべき、と訴えていた(この事実も少し前に知りました)。この費用削減のため人員を減らしたのはむしろ与党の自民盗。自民盗ではなく共産党(勿論れいわ新撰組でも)が与党だったら、福島原発もコロナ禍もここまで酷くはなっていなかっただろう。

 そして、東京都知事である小池百合子は、志村けんの死を「最後に残した功績」と讃え、特攻隊員であるかのごとく祭り上げた。人の死を利用して人からの信用を得ようとする人、僕は基本的に信用できないですね。こないだまでオリンピックにしがみついてたくせに。日本会議のノリは心底うんざりします。

 死にたくないし、死なないけど、確実なことがない!!現段階では東京封鎖後に、ほどなく医療崩壊が首都圏に広がると予想しています。病床4000の確保とかこないだ言い出した東京都がコロナの感染力に追いつけるとは思わない。1月から、早い人は12月に内部告発し、その破壊力も明らかになっていたもの。SARSを経験していないことと、オリンピック祭り気分であったことが拍車をかけて、高齢者の命(世界的には、10代20代でも亡くなってます)を危険に晒してます。高齢者施設での集団感染も間もなく報道されるんじゃないかと思います。

 さすがのこたにも不安になってきました。この戦いは辛い。自分の身を守れなければ、周囲を危険にさらす。しかし、どうしても介助サービスを必要とする人はいる。一年半、1日も休んでないけど、ここからのプレッシャーはなかなかのものです。心して、日々を過ごしたいと思います。

最後に、コロナで亡くなった全ての方々のご冥福をお祈りします。

赤木さんの死

 文春砲が日本を駆け巡りました。森友問題の概要を説明します。僕も詳しい訳ではありません。まず安倍夫人のアキエちゃんが、校長になる予定だった?森友学園への土地の払い下げが、メディアの報道によって明らかになったことが事の発端です。査定額9億円の土地が8億円も安くなっていて、国会でも追及が。
 文春の記事によると安倍さんが、私や妻が関わっていたら総理を辞めますよ、と発言した所から、文書の改竄が始まったそう。近畿財務局に勤めていた赤木俊夫さんは抵抗したものの上からの圧力に逆らえず、うつになり、真実を書き記した手記を残して首吊り自殺をした。今回文春が明らかにしたのはその手記の内容。この手記、一部写真が掲載されてますが、手が震えているのが伝わってきます。
 この記事は今日、サービス合間の移動の電車内で読みました。赤木夫人が回想される言葉などはとても涙なくしては読めませんでした。一人でぼろぼろ泣いてしまった。最後赤木さんが出勤する昌子さん(仮)を見送る言葉はいつもの「いってらっしゃい」ではなく、「ありがとう」だったそうです。これが、こんなことがまかり通っているのが、いま僕が生きている日本なんだと。ここまで酷いことを知らなかった自分がとても悔しかった。

 赤木さんは、書道が好きだったそう。多趣味だったようで、立派な書斎には沢山の本がずらりと並んでいる写真が記事に寄せられていた。好きなミュージシャンは坂本龍一。きっと正義感の強い方だったろうことが記事からも窺える。
 なぜ、赤木さんのような人が自死しなければならなかったのか。悪い事をしているという自責の念のある方は自殺して、悪いことを部下に背負わせて、自らの手を汚さない主犯格は今ものうのうと「改竄あってはならない」など他人事ように政治家面だけしている。反吐がでる。許せない。僕は、国に対して提訴した昌子さんを応援するし、一刻も早く安倍晋三が総理大臣、及び議員職を辞職するようにこれからも情報を発信していきたいと思う。

 最期に、辛い思いをしながらも、大好きな家族とお別れをしなければならなかった

      赤木俊夫さんのご冥福をこころよりお祈りします。

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自死される直前に残した赤木さんの手記の一部

 

PCR検査数と死者

 検査拡大を訴える医師が、ウヨインフルエンサーのデマ攻撃に合っているという記事。維新の橋本徹はトンチンカンなこと言うてる、とかも紹介されてます。
https://lite-ra.com/2020/03/post-5316.html

もうひとつ紹介したい記事がこちら。https://bunshun.jp/articles/-/36667

こちらの文春砲、エクセルシオールで涙流しながら読みました。

「大好きな〇〇へ ありがとう 苦労ばかりかけてごめんね」

 悪い事をしたという自責の念のある人が死んで、悪い事をしているという自覚のない自民党の政治家はのさばっている。こんなことは断じてゆるされない。

IOCは米国への11億円もの放映権の利権があり、WHOは日本政府から166億円受け取っているので、「オリンピック延期したら?」と言えるのはトランプくらい。先週韓国から戻った知り合いに話を聞いたけれど、自粛と店内(エスカレーターなどにも職員が)での消毒が徹底されていたそう。ドライブスルー検査方式ですでに累計20万という数。日本は、確か1万ちょい。1400万人近くの人口がいる東京での累計検査数はまだ、2800を超えた所。安倍に同調的な維新の橋本徹は、
「どんだけテレビ朝日から文句を言わレようが、『モーニングショー』から文句を言われようが検査数については絶対、絞っていくんだと。この死者数を落とすためにね、検査は拡大しないんだということをバチーンと言わないと」
「不安感を払拭するような検査は、今はやめてくださいって政府ははっきり言わないと」と述べているという事実は、参照先のリンクでもご紹介のとおり。

 考えなしで、声だけはでかい発言をする安倍ちゃんがこのままリーダーやり続けると、感染の拡大と底なしの不景気の二重攻撃で、これからさらに死者が増えるでしょう。「抑え込みに成功している」「オールジャパン(ワンチーム)」など一部のメディアが報じるフェイクニュースに決して惑わされないように、と伝えたい。安倍政権は国民の命を大事にしようとなどとはこれっぽっちも考えていません。
 そんなこたには完全防疫体制で、今週友人のライブに顔出します。政府が手を差し伸べないフリーランスの存在。感染拡大防止と日本経済を支える、この二つをバランスよくこなしたい。
最後に、みなさん。
自殺だけはしないで。
うつを克服したこたにより

伊藤詩織さんの事件を自分視点でまとめてみた

victim blameというカウンターな考え方があるそうで。先に海外の事件について触れますが、こんな事を書くのは、もしも身の周りでセカンドレイピストを見つけたら諫めて欲しいからです。伊藤詩織さんの事件で、彼女へのバッシングが、少なくともツイッター上ではひどい。

写真は今日ツイッター上で流れてきたもの。海外でのレイプ事件、加害容疑者が無罪になることはままあるそうで。そんな状況を受けて、娘を亡くしたとある母親のコメントなどが紹介されていた。

その母親の娘さんが亡くなったきっかけの事件概要はこう。公判で、被害者は加害者の弁護人に当時履いていたレースのTバックをみんなに見えるよう掲げさせられ、そこにある刺繍、リトルデビルの文字を読み上げさせられたそう。被害者にとって裁判が不利になったのは、調べで「下着を引き裂かれた」と事実とは異なる供述(実際は強引に下着を脱がされた)をしてしまっていたからだった。加害者の男性は無罪を勝ち取り、娘さんはその後自殺したんだそう。

<レイプ事件の裁判で「下着」の提示を強制され自殺...少女の母が涙の訴え - フロントロウ>

伊藤詩織さんの事件をこたに視点で整理。彼女はそもそもお酒に強く、残ったお酒をそのままにトイレに立って、戻ってきてから酩酊状態になった、と主張されています。なので「2人で飲んでて酩酊状態になったら、合意とみなされる」という考え方は論拠に乏しい。薬を盛られた可能性を完全には排除できないからです。あと履いてた下着云々も、海外の事件を考察してみても妥当な根拠とは言えない。

被疑者の山口氏はそもそも妻子持ち。随分と歳の離れた娘さんを自分の宿泊ホテルに連れ込み行為に及んだ。ここまでは立証されている。詩織さんがホテルに交渉し、裁判での使用のみに限定する条件で動画の提供をしてもらっているからだ(勿論これには、一筆と支払いがあったそう。ホテルがレイプ行為を見過ごしたとあれば評判が下がるから)。またタクシーから降りる2人を応対したホテルマンからの陳述書もあり、車内で嘔吐してしまっていたくらい酩酊状態だった詩織さんが確認されている。また伊藤氏は、山口氏が無理矢理にをタクシーから伊藤氏を引っ張り下ろそうとしているカメラの記録映像の確認について、二度目は怖くて友人に頼んだという。ぐったりした伊藤氏を運び出そうとしている山口氏の姿を確認したその友人は戦慄し、吐き気を催したんだそう。

また伊藤詩織さんも出席した、判決で勝訴が確定された翌日の12月19日の海外特派員協会での会見で、山口敬之は控訴することを前提に「(相手の動機は分からないが)彼女は嘘をつく癖があると思う」と述べた。これが山口氏が、裁判に臨むあたって絞り出せた唯一の主張なのかも知れない。

 

女性がレイプに遭ったらそれは二重に悲劇だ。レイプに遭う事自体も悲劇なのに、自分の被害を世に訴えてなお「あいつ、ビッチじゃね?」という視線と闘わなければならない。一体どんな世界だよ。

 

最後に、おまけ程度に気になった出来事を時系列にしました。

 

[伊藤詩織さん強姦事件から判決まで]

2015年4月4日強姦被害に遭う。

2015年6月8日逮捕執行停止命令(警察)

2015年7月犯罪に使用されるという理由でロヒプノール(サイレース)錠の色が白から青へ

2016年6月9日『総理』(山口敬之)発売

2016年7月22日東京地検が山口を嫌疑不十分で不起訴

2019年12月18日伊藤詩織さん勝訴

桜を見る会の追求の流れ

<桜を見る会の追求のまとめ>

招待者も予算も随分膨れてるよね、と野党が審議していた所に誰かが反社の写真をリーク(ツイッターでは、ぼくスガエモン?という名のアカウントからのリツイートが自分の所に流れてきた。そこには反社とおぼしき人物とスガエモンのばっちりツーショットが)

そこで、桜を見る会、野党追求本部が発足し、追求を開始。反社との繋がりを証明する招待者名簿(保存期間1年未満)はシュレッダーにかけた、との返答。さらには、作業にはあたったのは「障害者職員」とシンゾーが証言(この辺の露骨差別発言がひどい。国会議員にもすでに障害者おるやろがい!)。

では、電子データはというと、シンクラインアント方式なので(つまり本当はバックアップデータは保存されているはずなのだが、なぜか)8週間で削除されている、とのこと。

順序前後はあるだろうが大体こんな感じ。ここまででも随分酷いが、ツイッター上では炎上する出来事がたくさんあった。つるの剛士(招待された)が「(野党に対して)くだらないことに時間を使わないで」と失言をして猛バッシングを喰らっていた。この方将棋ファンなので、まあ残念でした。

それから更に「昭恵の推薦枠があるらしい、私人なのに」とか「シンゾー枠ではマルチ商法やってたジャパンライフの会長も」などなど。ここまででも正直一国民としてはかなりうんざり。みんな怒りを露わにしている。

塩村あやかさんの「何らかの功績がある人を招待しているのに、個人情報だから出せないはおかしい」(そう最初は「ない」ではなく、出せないとか言ってたのだ)は的確な批判でした。

で、追求チームで頭角を表している石垣のりこ氏の「持ち帰る必要はありません!」発言。データのバックアップ方法などを委託した業者と「そのデータの保存期間を8週間とする取り決めをした」との発言をしてしまったために、「その取り決めに関する書類はすでに公開されたものとして、ご提出ください」とツッコミをくらう酒田課長。つまり、データの有無はともかくうっかりテキトーな発言しちゃったので、ちょっと考え直させてというわけ。

まあ、こんな管理能力さえない自民党に、与党として政権を預けたくはありませんよね。

クラプトンと差別主義

エリック・クラプトンが人種差別主義者だっていう話は有名なんですかね。

ボコボコにイジメたことある発言の小山田圭吾同様、アーティストの内的ベクトルと音楽性を、小谷は切り分けて評せるほど器用ではない。クラプトンを軽蔑する。

ところで、ジャズは音楽学的には相当深みがある、1番と言ってもいいくらいだ。一方ロックが好きな僕は、ジョン・レノンや忌野清志郎が夢想し、音楽で訴えていたような世界の先を、同じように夢見てしまう。人間的な豊かに溢れたジャンルと言える。

話はまた変わるが、今の日本はアメリカと変わらない。弱者から搾取して強者を優遇。与党は排外主義を煽って支持率を維持しようとする。ヘイトスピーチが行われる度に警察がガーディアンを率先してやってるわけ。マスコミも桜を見る会の追及はほどほどに。終わってんね。あんなヤクザみたいな奴らに10%も消費税納めたくねぇな!事業税も保険料も何か知らんけど結構持っていかれるんですけど。大企業は、特例で免除とかなるらしいのに。はぁ!?バカにしてんのかな。それとも、凄くバカにしてのかな!?

話逸れたけど、イジメに加担したり、差別主義をステージで訴えてみたりする奴の音楽は聞かねぇ。そういう奴らはアーティストとは呼ばない。世界的に売れているだけの、ただの職業ミュージシャンだ。ただし、一緒やってろとは言わない。差別主義なんか卒業してくれ。

明日、自身の立場である白人が最下層になったら止めてくれって思うだろうね。クラプトンが差別主義というのを知り、ショックと言うよりもやもやしたから、書き散らしてみた。

徒然なるままに

最近ツイッターで政治ネタばかり呟いてます。まあ、とりあえず安倍晋三は氏んでくれって感じです。天皇制も要らないかな。あんなの何がそんなに有り難いんだ。ファルージャでの奇形児の出生率がものすごく高いらしい。中国は香港以外でも、ウイグル自治区のムスリムへの処遇があり得ないくらい酷いんだとか。国内でも、入管での長期収容問題が裁判という形で顕在化してきてます。
世界情勢や、国内の問題色々と考えてみるけども、人間っていうのはいやはや。ジョン・レノン、忌野清志郎、hide。こたににはあなたたちほどの影響力はない。でも、どうにか自分のできることを見つけるよ。とりあえず、毎日仕事(この一年ほぼ無休)なのでもうちょっとゆっくりギター弾きたいス。明日も大きな災害や、核戦争などが起きませんように。

映画『Green Book』

台風19号を尻目に、僕は自分の部屋で映画を観てました。作品のタイトルは『Green Book』。めっちゃいい映画でしたね。僕はこの単語知らなかったですが、当時の黒人専用(colored)ホテル・モーテルなどが載っている本のことなんですね。初の南部ツアーに出るドンには、黒人専用のトイレ、黒人禁止のレストランなど障壁だらけ。黒人音楽という側面では、ナット・キング・コールが最初に白人の前で歌ったときに、ある集団に袋叩きにされたというエピソードが紹介されてて、興味深かった。

物語の流れや雰囲気を観ていて、最近見た『レインマン』を思い出しました。ロード・ムービーであり、お互いに他者でしかなかった者同士が少しずつ心を通わせるという物語。何とも美しい。

最近のハリウッドはCGばかりで表情がなく、物語と言えば世界の終わりが彼の手にみたいな神話じみたものばかり。でも、グリーン・ブックのような人間くさいハリウッド映画がこたには1番好きです。『暴力は敗北だ。威厳(dignity)こそが勝利を導くんだ』(確かそんな発言だった)といったメッセージもジーンときました。皆さんも是非見てみて下さい。ちなみに、ヴィゴは指輪物語のアラゴルン王子の影は全くなく、太ったチンピラみたいなおっさん役でした笑。音楽は、個人的にはHappy talkが印象に残りましたが、ドン・シャーリーの音源もまたゆっくり聴いてみようと思います。

政治家の名言と消費増税反対説

 久々の更新です。最近、やっぱり政治的には超絶フラストレイティッドです。まず、ステーキとか、セクシーとか言うてるやつ、どたまシバいてやりたいんですけど。みなさま、選挙は毎回必ず行こうな。そもそもね、チコちゃんって諸悪の根源だと思うのです(ニーチェ的切り口でいいでしょ笑)。雑学さえ知っていれば「政治には無関心でも良い」というテーゼのお陰で、「1億総ボーッと生きてる」状態で。ありがとうございます!投票率50%以下達成だぜ。

「こんなに危ない消費増税」によると、以前の8%に上がった分は大企業への軽減税優遇分にほぼほぼ補填された、と言える数字なんだそうです。つまり、お金持ちからは取らずに下々から毟る(カイジ的、笑)という結果に。で、10%になって経済効果が期待できるかというと、期待薄です(どなたか増税後にあえて楽器や車を買ったろう、という奇特な方いらっしゃいますでしょうか)。音楽業界なんかも、真っ先に影響出るでしょう。で、消費増税反対のこのマンガによるとどうも財務省には逆らえないんだそうです。異性ネタとか全部握られててリークされるから。

 で、千葉の件。ツイッターなんかを見てても、消費増税の延期を避けたいという政府の狙いが、露見してしまっています。台風の被害を「激甚災害」と認定すると、増税を延期せにゃならんので、政府もゆ〜っくり腰を上げた、という訳。テレビってすでにオワコンですけど、消費増税の是非を問う討論番組なんてまずないですよね笑。軽減税率の説明ばっかり。てか、バカにしてるよね、完全に。

最後は哲学書っぽく迷言集より、引用で。
「今のままではいけないと思います。

だからこそ、日本は今のままではいけないと思っている」 by 進次郎