8月6日

 今日は、広島に原爆が落とされた日だ。火垂るの墓の記事でも書きましたけど、長崎への原爆投下と合わせて、あれは「大量虐殺」行為であり「非人道的」な行為だとこたに個人は断罪したい。てゆーかね、最近変異体のごとく目が覚めたような気がしたのです。僕はアメリカという国を今更避難するつもりはないが、謝罪してこなかったという政治方針に対してはかなり批判してやりたい気持ちでいっぱいだ。

 気づいたというよりは、最近感じた違和感ですね。天皇玉音放送の影響なのか、メディアは今でも敗戦日ではなく「終戦日」と報じる。学生を集めて「学徒について考える」テレビ討論が企画、放送される。原爆被害者にフォーカスした特集やインタビューが組まれても、それを「大量虐殺」や「非人道的」といった強い言葉で報じているメディアは内容に思う。すこぶる気持ち悪い。勝ったらなんでも正義なんかいね。僕はアメリカに謝罪して欲しいのではなく、あくまで「アメリカとしてはその行為は止むを得なかった」という風に結論づけるのが、結果としてそうなっている事実がかなり気に入らないと気づいたのです。思考停止かよ。

 死刑制度を廃止した国は増加の一途を辿っている。世界の倫理的価値観は「命を何よりも尊いもの」と位置づけている。ドイツでも長い間、ナチやホロコーストは大きな反省課題だった。だから、普通にそんな流れの中から、原爆の投下という史実を振り返ったら悲惨な出来事だと結論づけられるはず。それならばつまり、あれは「非人道的な行為」であったと認めるべきだと思う。別に謝罪したくなけりゃ謝らなくていいさ。でも、大量虐殺された一般市民が大勢いたことは事実だ。

 

 1年の間の短いこの期間だけでも、日本で過去に起こった戦争、敗戦、原爆投下について少しでも考えてみたい、そう思ったのでした。